【五輪コラム】4年に1度だけじゃなく 興味を持ったらぜひW杯も見て
北京冬季五輪は20日に閉幕し、熱戦も終わりを迎える。ノルディックスキー担当として、筆者は今回が2018年平昌大会に続いて2度目の冬季五輪取材だった。気温は連日氷点下20度前後と過酷な環境ではあったが、今まで取材を重ねてきた選手がつくり出した歴史的な場面に、現場で立ち会えたことを幸運に感じる。
筆者がノルディックスキーの担当になったのは33歳だった14~15年シーズン。今季が8季目となる。もう雪山での取材にも慣れっこだが、それまで「雪」とは無縁の人生を歩んできた。
地元はマンゴーで有名な宮崎県。言わずと知れた南国で、ウインタースポーツ熱が高いとはお世辞にも言えない。少年時代は雪を見た記憶も、触った記憶もほとんどない。中学卒業後に宮崎を離れたが、スキーをした経験は高校1年で行った修学旅行ぐらい。大学でも、記者になってからも、遠い世界の話だった。
そんな筆者が何の縁かスキーの担当となり、15年1月には早速、本場欧州へ約1カ月間、取材に出かけた。“デビュー戦”はジャンプ男子のワールドカップ(W杯)が開催されたドイツのビリンゲンだった。フランクフルト空港からレンタカーを借りて向かったが、もちろん雪道を運転したことなどない。四苦八苦して数時間のドライブの末にたどり着き、今後やっていけるのか…と初日から激しく不安に襲われた。
そんな素人同然の筆者にとって、ビリンゲンの初体験は強烈だった。まず会場を埋めた大観衆にびっくりした。軽快な音楽が鳴り響き、ファンがホットワインを飲みながら、めちゃくちゃ盛り上がっている。そんな雰囲気にすぐに引き込まれた。
その後、毎年のように欧州を回った。複合の後半距離の10キロという設定は、前半飛躍の結果を受けて絶妙にレースが盛り上がるようにできている。距離(クロスカントリー)の北欧での人気はすさまじく、長距離種目は日本で人気のマラソンに通じる。最近は新型コロナウイルス禍で出張が激減しているのは残念だが、ぜひともまたW杯を回りたいと思っている。
4年に1度の五輪は、多くの選手にとって間違いなく特別な大会だ。それは日本選手に限らない。海外選手も普段のW杯とは気合の入り方が違う。ガッツポーズはより大きいし、感情表現も一層激しい。北京にも世界中から報道陣が集まり、注目度はやはり随一だ。
ただ、である。五輪が終わると熱狂は終わり、急速にメディアも人々の関心も引いていく。「余熱」でしばらく盛り上がる競技もあるが、なかなか続かないのが現状だ。
平昌五輪の約1カ月後、複合の渡部暁斗(北野建設)が日本勢2人目のW杯個人総合優勝を決めた際に現場にいた日本メディアは3人。翌シーズンにジャンプ男子の小林陵侑(土屋ホーム)がW杯初優勝した時は2人だけだった。五輪の狂騒を考えると、少し寂しい気持ちだが、その場面にいられたことを、筆者はうれしく思っている。
もし北京五輪でジャンプや複合や距離に興味を持った人がいたなら、ほんの少しで構わないので、日々のW杯にも目を向けていただけないだろうか。フライングヒルで240メートル以上ぶっ飛ぶ小林陵のジャンプは圧巻だし、渡部暁はいつも手に汗握るレースを繰り広げている。ジャンプ女子の高梨沙羅(クラレ)は優勝して笑顔を取り戻すかもしれないし、距離の石田正子(JR北海道)や馬場直人(中野土建)は、北欧勢に囲まれながら常に奮闘している。
ノルディックは、雪と無縁の人生を送っていた筆者でも魅了された面白い競技だ。テレビ放送がない? 大丈夫、今はSNS(会員制交流サイト)がある。何なら2年に1度の世界選手権だけでもいいし、身近な国内大会だっていい。そこでも五輪と同じように熱戦が繰り広げられているから。(共同通信・益吉数正)