プロ転向の羽生結弦 松岡修造にきっぱり「テニスで40代でめちゃくちゃ強い人いるじゃないですか」
フィギュアスケート男子で、14年ソチ五輪、18年平昌五輪2連覇の羽生結弦(27)=ANA=が19日、都内で会見し、競技の第一線から退くことを表明した。今後はプロスケーターとして活動していく。会見後の夜には、テレビ朝日の「報道ステーション」に都内のホテルからの中継で出演した。
長年取材を受けてきたキャスターの松岡修造と対談。松岡から「僕は勝負にこだわる羽生さんがすごく好きなんです。今回勝負の舞台から降りたんだ、ってそういう捉えていいんでしょうか?」と問われると、「勝負の舞台から次の舞台に上がったと、僕は思っているので。これまでのアマチュアスケーターからプロスケーターへという道とは、全然違った気持ちでいていただけると僕はうれしいなって思ってます。その場で評価を競うものではないかもしれないが、常に過去の自分と戦いながら、もっと今上手いぞっていうのを見せながら、そして皆さんの期待とも戦いながら、もっともっとそこに勝っていくんだという強い意思でこれからやっていきたい」と、思いを明かした。
数々のケガを乗り越えて戦ってきた。体の限界について問われると、テニスに例えながら「テニスで捉えると、これはプロが引退ではないんですよ。テニスで例えると、やっとアマチュアからプロプレーヤーになれたぐらい。だから、僕自身の体に関しては足首の心配はもちろんあるんですけど、この4年間、ケガはありましたけど、これだけ成長出来たって、これだけ練習に工夫のしがいがあるんだってことを学んだり、実際に上手くなっている自分を考えるとまだまだいけるなと。瞬発力とかを考えると、10代の頃とは比べものにならないとは思うんですよ。ただ、もっと上手くなっているし、もっと上手くなれるなって思います。だって、テニスプレーヤーで今、40代でめちゃくちゃ強い人がいるじゃないですか。僕もフィギュアってそういう例がないから、わかりづらいだけで、これからさらに上手くなれるって正直思ってるんですよね」と、語った。
いわれのない中傷や悪意にもさらされたこともあった。心の限界については「まあ何回も心がなくなっちゃうっていうか、無としてやってる時とかありました。正直、1番きつかった時は、絶対に忘れないんですけど、言いたくないんですけど。その時は食事もままならなかったですし、正直ほとんど通らなかったし、食べたくもなかった。それでも、演技している間は祈りとか表現したいこととか感情とか、全部のってくれる。フィギュアスケートには。僕がフィギュアスケートの中に感情をのせられるのは、これだけ4歳から積み重ねてきた基礎だったり、技術だったりのおかげなので、もちろん心が壊れてなくなりそうなことは多々ありますけど、今も。だけど、スケートやってて、皆さんにみてもらうのはやっぱり楽しいなって。でもそれまでの過程は辛いし、過程の中で自分が言葉を発せられない中で何か言われてしまうのは、何も反論できない状態で傷ついたりするのがやっぱり一番きついですね」と、告白した。
3連覇への挑戦が終わった北京五輪では「報われない努力」という言葉が印象を残した。「あれのおかげで、羽生結弦っていう完璧みたいな人間がこういうところもあるんだって、応援しようと思ってくださった方々もたくさんいるっていうのを目にしてやっぱり良かったなって思ったんですよ。報われなかったと思える自分がいて、それを応援してくださったり、その姿に何かを感じてくださっている方々がたくさんいるという事実が僕を今でも救ってくれている」と、振り返った。