AS・比嘉もえ 父はカープOB寿光氏「これからの子供たちの見本になって欲しい」
パリ五輪の開幕(2024年7月26日)まで2年を切った。アーティスティックスイミング(AS)女子で、史上最年少となる14歳での日本代表入りを果たした比嘉もえ(AS広島)が31日までにデイリースポーツの取材に応じた。プロ野球・広島でプレーした寿光氏(41)を父に持つホープが夢の五輪でのメダルを堂々と宣言した。
予想以上の成長ぶりに、驚きとともに喜びを感じている。比嘉もえの父は元プロ野球広島の選手で、現在は広島の編成部で働く比嘉寿光氏(41)。「(2028年の)ロサンゼルス五輪からかなと思っていたけど、前倒しでパリ五輪に行けるかもしれないですね」。パリ五輪の星として一躍注目を浴びる存在となった愛娘。自然と声が弾むのも無理もない。
もえにASを勧めたのは母・慧夏(けいか)さんだった。「(もえの)性格的なものとかを考え、(ASが)向いていると思ったみたいです」。小学3年から本格的に始めさせたAS。比嘉家の方針は“スパルタ教育”だった。
「ウチの奥さんは“楽しくやるのもいいけど真剣にやる”という方針。遊びじゃないぞと」。例えば身長を伸ばすためにジャンプトレーニングを考案。簡易型のトランポリンで、朝、夜、就寝前に毎日飛ばせた。「小学校5年くらいは150センチだったのが、卒業するころには160センチを超えていたと思います」。もえは現在171センチ。スラリとした高身長と長い手足は、大きな武器になっている。
「もう僕を超えたと思っているらしくて偉そうなことは言えません」。そう苦笑する寿光氏だが、願うことがある。「トップアスリートとして、これからの子供たちの見本になって欲しいですね。プロ野球でもアスリートが与える影響は大きいんです。(もえにも)そういう選手になって欲しい。僕らはそれを手助けするだけです」。パリ五輪で輝く愛娘の姿を思い描く父の目尻は、少しだけ下がっていた。
◆比嘉寿光(ひが・としみつ)1981年4月19日、沖縄県出身。現役時代は右投げ右打ちの内野手。沖縄尚学から早大を経て、2003年度ドラフト3巡目で広島入団。05年9月19日・横浜戦(横浜)で代打での初打席初本塁打。09年限りで現役引退。プロ通算成績は8試合で16打数3安打、打率・188、1本塁打、2打点。引退後は広島の球団広報などを務め、15年から編成部に所属。