斉藤立 無念の銀 指導3つで反則負け 父・仁さんと親子二代世界制覇ならず
「柔道・世界選手権」(12日、タシケント)
個人戦最終日の男女各1階級が行われ、男子100キロ超級で初出場の斉藤立(20)=国士舘大=は決勝でアンディ・グランダ(キューバ)に延長戦の末、6分24秒で指導3つによる反則負けを喫し、無念の銀メダルとなった。五輪2連覇の父・斉藤仁氏(故人)との親子二代での世界制覇はあと一歩で逃した。
あっけなく決着がつくと、斉藤は両膝に手をついてうなだれた。準決勝までは得意の内股、大外刈りなどで4試合全て一本勝ちと快進撃を見せたが、最後は不発。初の大舞台は悔しい結果となった。
じっくり釣り手と引き手を持つ日本柔道を貫いたが、決勝は慎重さが目立った。延長に入ってから先に2つ目の指導をもらい後がなくなると、相手は斉藤に組ませないようにスピードを上げ、電光石火の連続技を敢行。それに対し、ギアを上げられず後手に回り、3つ目の指導宣告。痛恨の反則負けで後味の悪い幕切れとなった。
4月の全日本選手権を制し、初の世界代表に選ばれたホープ。“規格外”の巨体から繰り出す切れ味鋭い技を武器に、昨年11月に初めてワールドツアーを制すなどパリ五輪金メダル候補として期待を受けている。初の世界選手権に向けては「命をかけて勝ちにいきたい」と自らを奮い立たせていた。
今大会は五輪2連覇のテディ・リネール(フランス)が欠場。優勝候補だった東京五輪金メダルのクルパレク(チェコ)、同銀メダルのトゥシシビリ(ジョージア)らが早期に敗退する波乱となったが、千載一遇のチャンスを生かすことができなかった。それでも世界デビュー戦で堂々の準優勝。親子制覇は持ち越しとなったものの、無念をパリ五輪への糧に変えるしかない。
◆斉藤 立(さいとう・たつる)2002年3月8日、大阪市出身。国士舘大3年。五輪2連覇の父・斉藤仁氏(享年54)の影響で5歳から柔道を始めた。東京・国士舘高では18、19年インターハイ連覇。21年11月のグランドスラム・バクー大会でシニアの国際大会を初制覇。22年4月の全日本選手権で初優勝し、初の世界選手権代表に選ばれた。家族は母、兄。左組みで得意技は父直伝の体落とし、内股。192センチ、165キロ。