大野将平が引退 五輪2連覇で区切り-指導者の道へ 東京五輪後モチベーション戻らず

 柔道男子73キロ級で2016年リオデジャネイロ五輪、昨夏の東京五輪を連覇した大野将平(30)=旭化成=が第一線を退く意向を固めたことが14日、関係者の話で分かった。五輪2連覇の偉業達成を区切りと捉え、24年パリ五輪は目指さずに指導者の道へ進む決断を下したという。

 柔道界の最強王者が第一線を退く。大野は集大成と位置づけた東京五輪で2連覇を達成し、以降は自身の階級での実戦から遠ざかっていた。関係者によると、大野は日本オリンピック委員会(JOC)が実施する来年度のスポーツ指導者海外研修事業への申請準備を進め、英国留学を希望しているという。全日本柔道連盟の強化指定選手は辞退届提出を検討している。

 24年パリ五輪代表選考を兼ねる今月のグランドスラム東京大会の代表に選ばれていたものの、直前にコンディション不良で欠場。来年5月の世界選手権(ドーハ)代表は厳しくなり「日本代表として戦う心と体をつくりあげることができませんでした。今後については自分としっかり向き合い決めたい」とコメントしていた。

 大野は山口県出身。天理大4年の13年に世界選手権で初優勝し、15、19年と3度制覇。内股や大外刈りなど豪快な技で相手をなぎ倒す闘いぶりで、日本柔道界の大黒柱として圧倒的な強さと絶大な存在感を誇ってきた。

 東京五輪後はモチベーションに苦しんだ。進退に揺れ、親交のある日本フェンシング協会元会長の太田雄貴氏に引退を相談し、慰留されたこともある。学生らと稽古は続けていたものの、今年6月には「現役を続ける上で(気持ちの)浮き沈みを感じている。戦いの螺旋(らせん)に戻ることへの怖さを日々感じている」と苦悩を明かしていた。「集中、我慢、執念」を合言葉に高みに上りつめた王者が、戦いの舞台から降りる。

 ◆大野将平(おおの・しょうへい)1992年2月3日、山口市出身。7歳で柔道を始め、東京・弦巻中、世田谷学園高時代は柔道私塾の講道学舎で腕を磨いた。天理大から天理大大学院へ進んだ。13、15、19年世界選手権、16年リオ五輪で金メダルを獲得。リオ後は休養し、大学院での学業を優先し、修士論文を執筆。18年1月に修士論文を提出し、翌月から本格復帰した。21年東京五輪で連覇を達成した。デイリースポーツ制定「2021年度ホワイトベア・スポーツ賞」を受賞。

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