引退の国枝慎吾「足跡残せた」“世間との闘い”に自負「スポーツとして扱ってほしい」今後も競技普及へ

 引退会見を終え、笑顔でテニスラケットを振る国枝(撮影・棚橋慶太)
 ユニクロ・柳井社長(左)からケーキを贈られ笑顔の国枝(撮影・棚橋慶太)
 ユニクロ・柳井社長から贈られたケーキ(撮影・棚橋慶太)
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 車いすテニスで東京パラリンピック金メダルなど数々のタイトルを獲得した国枝慎吾(38)=ユニクロ=が7日、都内で引退会見を開き、「やり切った。最高のテニス人生を送れた」と晴れやかに語った。今後の活動については「なんとなく自分の中で何をしていきたいか、ぼんやりと出てきたくらい。今言っちゃうとそれをやらないといけない感じがするので心の奥に秘めておきたい」と明言を避けたが、車いすテニスの普及活動には意欲を示した。

 進路を考える中で「現役生活で何と戦ってきたのか」と考えていたという。「もちろん相手との戦い、自分との戦いもあるが、ある意味車いすテニスを社会的に認めさせたい、スポーツとしていかに見せるかということにこだわってきた」と、車いす競技の第一人者として“世間”と戦い続けてきた自負を込めた。

 2004年アテネ大会当時は、金メダルを取っても新聞のスポーツ欄で扱われることがなかったと述懐。「どうにかスポーツとして扱ってもらいたいと。福祉として社会的意義のあるものとして(の側面が)強くメディアを通じて伝わっていた。パラリンピックはよく共生社会の実現のためにと言われるが、スポーツとして感動を与えられたり興奮させるものじゃないと結局そこ(社会福祉的な意義)にもつながらない。スポーツとしてのこだわりは相当強く持ってやっていた」。ただ、21年夏の東京パラリンピックで金メダルを獲得し、スポーツとして結実した手応えがあったといい「東京パラリンピックでようやく、反響が、スポーツとして相当手応えがあった出来事だった」と胸を張った。

 また、後進が育っていることにも「足跡はくっきりと残せたのかな。若い車いすテニス選手が日本で増えてきて、どんどん海外でチャレンジしている。やってきたことが少しでも影響を与えたのかなと思うと、やってきてよかった」と感慨を込めた。ユニクロの柳井正社長からは「新しいスポーツを確立した。(このすごさは)新しい産業をやるのと一緒で、よっぽど難しい。うちの社員はもっと(国枝の姿勢から)挑戦して、実行して、達成することを学んでもらいたい」と賛辞を贈られた。

 ◆国枝慎吾(くにえだ・しんご)1984年2月21日、千葉県出身。9歳の時に脊髄腫瘍を発症し車いす生活に。母の勧めで11歳の時に車いすテニスを始める。パラリンピックは5大会連続出場。ダブルスは04年アテネ金、08年北京と16年リオデジャネイロで銅。シングルスは北京と12年ロンドン、21年東京で金。09年に車いすテニス選手として日本人初のプロ転向を宣言した。

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