福島あゆみ“楽しい”が原動力 パリ五輪新競技「ブレイキン」金候補は39歳

 2024年パリ五輪の開幕まで14日で500日。新競技「ブレイキン(ブレイクダンス)」で、初めての五輪出場を目指す21年世界選手権女王の福島あゆみ(ダンサー名・AYUMI、39)が13日までにデイリースポーツのインタビューに応じた。出場となれば41歳で迎える夢舞台。競技を始めた21歳からの道のりを明かし「一個一個頑張ってその先にパリ(五輪)があったら。一つずつ進化できるように」と決意を込めた。

 京都を象徴する石畳を進んだ先に世界女王の姿があった。ブレイキンの金メダル候補。福島は夢舞台を見据えつつも、目の前の大会に集中していた。

 「一つの大会に『それそれそれ』ってなるのは向いていない。(スポーツ以外の)カルチャーの大会もあって、今はそれに向けていそしんでいる。一個一個頑張って、その先にパリ(五輪)があったらいいなという気持ち」

 京都市出身。カナダ留学中、一時帰国した21歳の時に姉の梨絵(ダンサー名・NARUMI)から誘われてブレイキンを始めた。「友達ができないとか英語が話せない留学の壁があって、新しいことに挑戦したかった。あと、すごい太っていたんで痩せたい気持ちもあった。ふざけてますよね」。初めは軽い気持ちだった。

 デビュー戦はわずか1カ月後。「ブレイキンはバトルを習慣づけた方がいい。とりあえずバトルしよう」(梨絵)。相手は10歳離れた小学生の女の子。大会の進行もルールも分からない。音楽が鳴り始めると、緊張で全ての振り付けが記憶から飛んだ。その後は踊らずにステージ中央で体育座り。「むちゃくちゃなデビュー戦でした」と、のちの世界女王は笑い飛ばした。

 背中やおなかを床につけて回転する間に手で足先を持つなど、細かくこだわったオリジナルの動きが特徴。自身を「どんくさいし、覚えが悪い」と自虐するが、だからこそ努力を積み重ねられる天才だった。「すぐにできないとダメって思っていない。できないから楽しかった」。他の選手が数カ月で習得する技に1年かかったこともあったという。そんな時でも“できない”よりも“楽しい”感情が原動力になった。気づけば競技歴は18年。世界トップレベルまで上り詰めていた。

 五輪強化選手に選出されたときは迷いもあった。当時37歳。首のヘルニアで全く踊れない時期とも重なった。「4年後って41歳!?みたいな。大けがもしたし、自分の人生もあるし…」。家族への相談や自問自答を繰り返し、たどり着いた答えはブレイキンを始めた時と同じ「新しいことはわくわくする」という前向きな感情。41歳で迎える大舞台の挑戦を決意した。

 姉の影響で五輪は幼い頃からテレビで観戦。東京五輪では新競技だったスケートボードが印象に残る。同じストリート文化で「こんな試合の形になるんや」とイメージをふくらませた。また、同競技の人気爆発から五輪の影響力も実感。「ブレイキンも同じようになってほしい。だからもっと頑張りたい意識はある。いろんな人が知って、やってくれる子が増えたら」と思い描いている。

 普段は日本語学校やインターナショナル幼稚園で、ダンスや英語を教える先生の顔を持つ。「月曜から日曜日まで子どもちゃんと触れ合いっぱなしです」。業務の後に練習を行うこともあり、多忙な毎日を送る。

 夢舞台への切符がかかる初戦は9月の世界選手権(ベルギー)。優勝者が最初の出場権を手にする。勝敗が重要視されるスポーツの土俵に上がってもブレイキンの本質は忘れない。「結果を一番に考えるのはダンスとして違う。頑張っている道のりを楽しみたい。好きな気持ちがあればどんどん成長できる。一つずつ進化できれば」。夢舞台の会場はパリの中心コンコルド広場。福島の踊りが世界を魅了する日まで500日だ。

 ◆福島あゆみ(ふくしま・あゆみ)ダンサー名はAYUMI 1983年6月22日、京都市出身。中学生でヒップホップダンスを始めた。高校卒業で一度ダンスから離れてカナダのバンクーバーに5年半留学。21歳で姉・梨絵に誘われてブレイキンを始めた。17年には世界最高峰の大会、Red Bull BC ONE決勝に女性として初出場。21年世界選手権では世界一に輝いた。23年2月の全日本選手権で連覇。趣味は映画観賞。好物は野菜と甘いお菓子。154センチ。

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