国枝慎吾さん「パラリンピックの価値上がった」パラスポーツ界初の国民栄誉賞に感謝
車いすテニス男子の第一人者として活躍し、今年1月に現役引退した国枝慎吾さん(39)が17日、官邸で国民栄誉賞表彰式に臨んだ。国民栄誉賞は1977年創設され、国枝さんは28例目。パラスポーツ界初の受賞に「パラリンピックの価値が上がってきた証拠の一つ。スポーツとして楽しんでもらえるような環境に、また一歩近づくことになるとうれしい」と受賞の喜びを語った。
国枝さんは、やや緊張した面持ちだった。妻愛さん、母珠乃さんも出席した式典。パラスポーツ界初の授賞に「先人の方々がいなければ僕自身プレーする環境がなかったと思う。育ててくれたテニスクラブや両親、妻、コーチやトレーナー、車いすテニスに関わったくれた方々、みんなの表彰と思う」と、周囲への感謝を口にした。
岸田文雄首相から「スポーツの発展に極めて顕著な貢献をし、広く国民に夢と感動、社会に明るい希望や勇気を与えてきました」と表彰状を手渡された。そして、記念品には国枝さんが「苦楽を共にしてきた妻も含めて喜びを分かち合いたい」と希望したペア腕時計が贈られた。
シングルスはパラリンピックで3度金メダルに輝き、四大大会全制覇と合わせた「生涯ゴールデンスラム」を達成。2021年東京パラでは日本選手団の主将を務め、金メダルを獲得した。「東京パラリンピックを通して多くの方々に国枝のプレーがどんなものか、車いすテニスがどういったスポーツなのか、ようやく伝えたいものが伝わったと思えた。(パラスポーツが)日本という国でも認められた証しの一つと思う」と振り返った。
今後もパラ振興への貢献が期待される。車いすテニスのレジェンドは「障害を負った方も気軽にスポーツを楽しめる環境がくることを願っている。実現の何か助けになればいい」と意欲を示した。
◆国枝慎吾(くにえだ・しんご)1984年2月21日、千葉県出身。9歳で脊髄腫瘍が原因で下半身が不自由になり、母親の勧めで小学6年でテニスを始めた。麗沢大に進学。04年アテネ・パラリンピックのダブルスで金メダル。06年に初めて世界ランク1位となり、09年にプロ転向した。シングルスはパラリンピックで08年北京、12年ロンドン、21年東京の3大会で金を獲得。四大大会は通算28勝。