フェンシング・男子フルーレ団体 日本史上初の金 アジアのライバル撃破 「今回が復活の一歩」

 「フェンシング世界選手権、最終日」(30日、ミラノ)

 男子フルーレ団体で、松山恭助(26)=JTB、敷根崇裕(25)=ネクサス、飯村一輝(19)=慶大、鈴村健太(24)=大垣ケーブルテレビ=の布陣で臨んだ日本は決勝で中国に45-35で快勝し、優勝した。団体での日本の優勝は世界選手権の男女計6種目を通じて初めて。同種目では五輪、世界選手権を通じて初の金メダル。今大会の日本勢のメダルは金2、銅2の計四つとなり、昨年に並んで一大会最多だった。

 決勝点を奪って派手に喜ぶ敷根に仲間が次々と抱きついた。日本は韓国、香港、中国とアジアのライバルを撃破し、頂点へ。決勝の第1試合で0-5とつまずきながら、第9試合では最後に5連続得点で締めた敷根は「なんとしても(金メダルを)取る気持ちだった」と意地を見せた。

 長期的な育成と、パリ五輪を見据えた強化が実った。主力の松山と敷根、19歳の飯村はジュニア時代から海外を転戦し、外国選手との対戦に気後れはない。力をつけ始めた才能をさらに伸ばそうと、日本協会は東京五輪団体の金メダルメンバーだったルペシュー氏をフランスから招請。日本代表の青木監督が「『金』の取り方を一番分かっている」という人材に指導を託した。

 東京五輪のフルーレ団体で日本は4位。かたや金メダルを獲得し「エペジーーン」の愛称が浸透した男子エペ団体に主役の座を奪われた。悔しさを感じていたという敷根は「フルーレが日本を引っ張る存在になりたい。今回が復活の一歩」と力強く宣言した。

 ◇松山恭助(まつやま・きょうすけ)1996年12月19日、東京都出身。4歳で地元・台東区のフェンシングクラブで競技を始めた。小学5年のときに初めて日本代表に選出された。東亜学園高時代に高校総体3連覇。日本選手権は2016年、22年と2度優勝。21年東京五輪は男子団体で4位。180センチ。

 ◇鈴村健太(すずむら・けんた)1998年9月15日、岐阜県出身。2023年W杯フランス大会で団体銅メダル。同年のアジア選手権の男子団体で優勝した。182センチ。

 ◇飯村一輝(いいむら・かずき)2003年12月27日、京都府出身。22年世界ジュニア選手権の個人で優勝。同年のW杯ベオグラード大会の個人で3位となり、同種目でのW杯表彰台を日本勢最年少となる18歳3カ月に塗り替えた。

 ◇敷根崇裕(しきね・たかひろ)1997年12月7日、大分県出身。2017年の世界選手権個人で銅メダルを獲得した。21年東京五輪は個人、団体ともに4位。182センチ。

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