明瀬山が笑顔の引退会見「目いっぱい相撲をやったので、あ~、よかったなという思いしかありません」
日本相撲協会は10日、同日開催した理事会で、元幕内の明瀬山(38)=木瀬=の引退と年寄井筒襲名を承認したと発表した。15年間の現役生活を終えた井筒親方は、東京・両国国技館で会見に臨み「もう目いっぱい相撲をやったので、あ~、よかったなという思いしかありません。悔いとか全くありません」と晴れやかに心境を語った。
引退を決めたのは、西幕下7枚目で2勝5敗と負け越した夏場所後。3場所連続勝ち越し中の好調をキープして臨んだ場所で負けが込み「ここが限界なのかなと思った」と決断に至ったという。
引退の覚悟を秘めて臨んだ名古屋場所は、両親らも観戦する前で5勝2敗と勝ち越し。「地元が愛知県なので、家族の前で勝ち越しても負け越しても、思い切りいい相撲を最後に見せてあげたいという気持ちで挑んだ。ここまで長くやってこられたのも両親が応援してくれたおかげ。辞めるという時も『十分楽しませてもらった』と言ってもらったので、ああ、やってきたよかったなと思った」と感慨をにじませた。
日大から木瀬部屋に入門し、2008年初場所で初土俵。10年九州場所で新十両、16年春場所で新入幕を果たした。幕内を4場所、十両を38場所務め、最高位は東前頭12枚目。東前頭13枚目だった21年夏場所であごを骨折し、3場所連続休場。同年秋場所で幕下に降下し、以降は関取復帰を目指す土俵が続いていた。
15年間の現役生活には「想像以上でしたね。38までやれるとは思っていなかった」と充実感たっぷり。今後は部屋付きの親方として、後進の指導にあたる。
師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)は、元々の突き押し相撲から助言に耳を傾けて右四つも習得して幕内まで出世したまな弟子を「真面目で素直な力士。一から相撲を作り直そうとした努力は感心しました」と称賛。「一番素直だったし、人に好かれる力士だった。キツい稽古が終わっても明瀬山がいると、みんな笑顔が出る。場を和ませるような、そういうところも教えてほしい」と指導者としても期待を寄せた。
38歳まで現役を続けられたモチベーションを問われた井筒親方は、少し考えてから「終わった後のちゃんこじゃないですか。おいしい物を食べると嫌なことも忘れてしまう。本当に食べることが好きなので。稽古してる時も、良いにおいがしてきたらそれが力になった」。人柄がにじむ答えで笑いを誘いつつ、親方として「強くなってもらいたいっていうのはもちろんですけど、辞める時に『この力士を応援していて良かったな』と言われるような力士を育てたい」と抱負を述べた。
断髪式などは、今後決めていく予定。