高校時代恩師が明かす泉谷駿介のルーツ 「自信と過信は違う」-初出場の高校総体が転換期に

 泉谷駿介
 男子110メートル障害決勝、5位でゴールする泉谷(左端)。手前右は優勝したホロウェー(共同)
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 「陸上・世界選手権」(21日、ブダペスト)

 男子110メートル障害決勝で泉谷駿介(23)=住友電工=が13秒19で5位入賞を果たした。五輪を含め、同種目の日本勢で初めて決勝に進んだ泉谷のルーツに、バラエティー豊かな陸上経験と飽くなき探究心がある。その努力の道筋を武相高時代の恩師・田中徳孝元監督(60)が振り返った。

 泉谷との出会いは緑が丘中3年時だった。当時は走り高跳びの選手で「本当に小さくてガリガリだった」。記録も平凡で目立たない存在だったという。

 だが、武相高入学後は「トントン拍子」に成長した。実直に練習を積み重ね、1年時では走り高跳びだけでなく、100メートルや走り幅跳びでも好記録をマーク。陸上競技全般において類いまれな才能を開花させていった。泉谷を「いろいろとやれる子、興味がある子だった」と見ていた田中元監督は八種競技挑戦を勧めた。その中の1種目が110メートル障害。世界選手権ファイナリストへの道は、ここから始まった。

 その八種競技で、泉谷は2年時にいきなり全国高校総体に出場。ただ初めての総体の雰囲気にのまれ、結果は14位に終わった。試合後の夜、ファミリーレストランで食事をした際には、ステーキセットを涙ながらにほおばっていたという。「あれほどがっくりしている姿を見たことがない」と田中元監督。激しく落ち込む中、泉谷からこう問いかけられた。「どうやったら強くなれるんですか」-。

 田中元監督は「もう練習するしかないよ」とシンプルな言葉を返した。そして「自信と過信は違う」という趣旨の話もした。泉谷が「その言葉は大事にしています。そこまで悔しい気持ちは初めてだった」と今でも振り返るほど、競技人生における転換期だった。

 総体後の合宿では体が動かなくなるまで走り続け、治療院に運ばれることもあったという。「どんなつらい練習でも100%出し切っちゃう子」(田中元監督)。ひたむきな努力は、3年時の総体優勝で実を結んだ。

 日本ハードル界の歴史を塗り替えた今回の世界選手権。テレビ観戦したという田中元監督は「興奮して寝られませんでした」と笑う。「自信がついたんじゃないかな。また大きくなりますよ。日本記録もあるんじゃないかな」。恩師はさらなる飛躍を予感している。

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