まさか 織田信成が号泣 痛恨の手続き不十分で全日本出場不可「非常に残念」復帰届未提出、不服申し立ても叶わず 西日本逆転Vで出場のはずが…

会見で涙を流す織田信成
会見で涙を流す織田信成
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 フィギュアスケート男子の10年バンクーバー五輪代表で、昨季約9年ぶりに現役復帰した織田信成(36)=大阪スケート倶楽部=に、12月の全日本選手権の出場権がないことが28日までに分かった。日本アンチ・ドーピング機構(JADA)に提出しなければならない復帰届の提出が遅れていたためで、10年ぶりの出場を目指していた同大会への出場はなくなった。

 織田はこの日、西日本選手権に出場し、逆転優勝。上位6人に入ったことで全日本の出場権を得ることができるはずだったが、手続き不十分により、全日本への出場権そのものがなかったことが判明した。

 優勝を決めた後、「全日本選手権に出場できないのは僕としても非常に残念」と言及。続けて、「最近まで何とか出られるように周りの人が模索してくれていたが、この大会前に出られないと分かっていた。すみません、ちょっと…」と言葉に詰まり、号泣した。

 織田は14年ソチ五輪出場を逃した後に引退したが、22年11月1日に、自身のユーチューブで現役復帰をすることを公表。23年1月の国民体育大会への出場を目指し、日本スケート連盟に登録したと説明した。22年11月12日に大阪府の国体派遣選手選考会で約9年ぶりに競技会に復帰。その後国体にも出場し、23年12月の全日本選手権を目指すことを公言していた。

 ただ、肝心な復帰届は未提出だった。登録検査対象者リスト(RTP)アスリートとして引退届を提出したため、引退後にJADAが指定する国内大会(フィギュアスケートは国体と全日本選手権が該当)に出場するには、6カ月前(織田の場合は22年7月)までに復帰届を提出する義務が永久的にあった。

 23年7月18日に復帰届が未提出であることにスケート連盟が気付き、その日のうちに織田と連絡を取り、JADAに復帰の意向が伝えられた。ただ、「6カ月」の規程により、24年1月19日より前の全日本選手権と国体の出場は認められないこととなった。

 この件を受け、23年8月8日、織田が世界反ドーピング機構(WADA)に不服申し立てをしたが、却下され、21日間の不服申し立て期間も過ぎた。

 JADAの担当者は報道陣の取材に応じ、「残念としか言いようがない。JADAは『アスリートの責務としてこういう手続きがあるよ』と出しているし、引退届にも書いている。守れなかったのが残念」と話した。「違反して得られた競技結果は失効する」との規程により、国体の結果は失効する見込みとなっている。

 日本スケート連盟は「織田選手は2013年末の引退から復帰までに長いブランクがありました。そのために上記届出(※復帰届)を履行できなかったものですが、連盟として、織田選手に対し、競技復帰の手続きに関する適切なサポートができなかったことは、申し訳なく遺憾に思います。今後の織田選手の活動をサポートするとともに、引退後復帰する選手について必要なサポート体制の整備を検討してまいります」とコメントを発表した。同連盟によると、復帰届が未定出だった例は今回が初だという。

 織田は今季、全日本選手権の予選を兼ねた近畿選手権(9月~10月)を突破し、10月の西日本選手権に出場。27日のショートプログラム(SP)で7位と出遅れた。だが、フリーでは4回転を2本決め、逆転優勝を果たした。

 今後については未定としながら、11月半ばの国体予選に出場する方向。「なかなか現役を続けるのも、家族に一番迷惑をかけながらやらしてもらっているので、まだ続けられるか分からないですけど、後ろ向きではないです」と語った。

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