【悼む】「早すぎますよ、寺尾関」直接取材したことのない記者を覚えていてくれた錣山親方
1993年頃、信州方面での夏巡業から東京への帰りの車中だ。混み合ってほぼ満席の在来線特急自由席からほかの車両へうろうろしていると、連結部で鉢合わせした水戸泉(現錦戸親方)に呼び止められた。「用事があって次で降りるから、これ使えよ」と指定席特急券をもらった。「ごっちゃんです」。ほいほいともらったのはいいが、指定席車両に行ってみてびっくり。座席の隣は寺尾関だった。
当時は相撲担当になって2、3年目。同じ井筒部屋でも霧島さん(現陸奥親方)ほどなじみはなく、年齢も近いがゆえに逆に寺尾関には少しとっつきにくいイメージを持っていた。「すみません、水戸関にチケットもらったんですが、顔じゃないんで自由席に戻ります」ときびすを返しかけたところで鋭い視線を向けられた。
「いいよ、デイリー、座れよ」。それまで取材でも1対1では話を聞いたことがなかったのに顔と社名を覚えてもらっていて感激した。「デイリーは支度部屋でも小錦関や霧島関とかにはよく行ってるのに、俺には話、聞きに来ないね。ほか(他紙)の若い記者もみんな若貴の取材ばっかりじゃん。まあ、それはそれで仕方ないけどね」。
ただの愚痴ではなかった。まず足の裏を見せてくれた。十中八九、力士は関取も幕下以下も日々の稽古で足の裏、特にかかとがひび割れている。「こんなきれいな足の裏の力士、見たことないですよ。すり足で傷もできるし」と言うと「俺はもともとそう。体質的にひび割れしないお相撲さんもいるんだ」。その後も試すようにいろいろ話しかけ、なぜか、若手記者の一人でしかない自分に興味を持ってくれていたのかもしれないと新宿に着く直前に分かった。
ニヤリとして「前に水戸関が『デイリーはハーちゃん(相撲用語でお調子者の意)だけど、相撲は意外とよく勉強してるよ』と言ってたけど、少しはそうみたいだな」。決して褒められたのではないだろうが、すごくうれしかった。
その10年後の03年頃、相撲担当も離れてだいぶ経っていたが、流川(広島の繁華街)で偶然出くわした。気付かずに歩いていた記者に小走りに寄ってきて「デイリー何してんだ、こんな所で」。さわやかな笑顔だった。まだ60歳で…早すぎますよ、寺尾関。いっぱしに相撲を分かった気になっていた自分にまたいつか、相撲を教えてほしかったです。(91~96年大相撲担当 デイリースポーツ・河上俊明)