本田真凜 去就明言せずも涙「悔い何一つない」 大会前に負傷、状態最悪での完走「自分にありがとう」
「フィギュアスケート・全日本選手権」(22日、ビッグハット)
世界選手権(来年3月、モントリオール)の代表選考会を兼ねて行われ、女子ショートプログラム(SP)は本田真凜(22)=JAL=が44・42点で最下位の28位となり、24日のフリー進出を逃した。演技後は万感の涙を浮かべたが、自身の去就については明言を避けた。
9年分の重みがつまった特別な演技が終わると、穏やかな表情が一瞬で泣き顔に変わった。
「自分にありがとうという気持ち」
真凜は両手で顔を覆い、右手で名残惜しそうに全日本の氷をなでた。「すっきりした気持ち。悔いも何一つない。ここまでたくさんスケートを頑張ってきた。その自分を今はゆっくり褒めてあげたい」と万感の演技を振り返った。
21日夜、自身のインスタグラムで右骨盤を痛めていたことを告白。大会前週に負ったけがは、「長いスケート人生の中で、一番といっていいぐらい悪い状態だった」。朝の公式練習では3回転ジャンプがなかなか決まらず、「苦しくて心が折れそうだった」。練習後に佐藤信夫コーチらと話し込んだ後、涙するほど追い込まれた。
それでも「今できることを見せるのが(ファンや周囲への)恩返し」と棄権は考えなかった。「ダブル(2回転)で気持ちよく滑ることも考えた」と言うが、本番では3回転サルコー、3回転-2回転の連続トーループを着氷し、SP曲「Faded」を可憐に舞った。「トリプル(3回転)で勇気を持ってやれて、フィギュアスケーターとして、競技者として戦えたことが誇り」と晴れやかだった。
現在、明大4年。“大学ラストイヤー”の節目の年でもある。今後については「今はお答えできることはない」と進退についての明言を避けたものの、「今は競技者だけど、全く点数にとらわれずにのびのび滑っている自分も好き。いろんなことを氷に乗って練習したい」と競技外への思いも口にした。22歳の決断は、いかに-。
◆本田真凜(ほんだ・まりん)2001年8月21日、京都市出身。5人きょうだいの3番目として生まれ、2歳でスケートを始めた。16年の世界ジュニア選手権で初出場初優勝、17年同大会は銀メダルを獲得した。16年全日本選手権はシニア勢に食い込み4位。今夏の「ワンピース・オン・アイス」ではネフェルタリ・ビビ役を務めた。趣味はカメラ。161センチ。