第38代木村庄之助 土俵に上がったら神になる覚悟、偉大な先人の言葉を胸に 9年ぶり行司最高位復活

 重責を担う覚悟と思いを語った第38代木村庄之助
 明治神宮の横綱奉納土俵入りで先導役を務めた=5日
 伊之助として最後の場所となった九州場所の土俵に立つ=23年11月
3枚

 「大相撲初場所」(14日初日、両国国技館)

 大相撲初場所で第38代木村庄之助(64)=高田川=が誕生した。第41代式守伊之助が昇格し、2015年春場所以来約9年ぶりに行司の最高位が復活した。このほどデイリースポーツのインタビューに応じた庄之助が、力士なら東の正横綱に匹敵する地位を担う覚悟、入門から約半世紀に及ぶ行司としての哲学などを語った。

  ◇  ◇

 -初場所の番付発表(昨年12月25日)で正式に庄之助を襲名した。名前の重みをどう受け止め、どのような庄之助を志しているのか。

 「立行司は同じ。伊之助も刀は差しているから(※1)。覚悟を示す地位。ただ、さらに覚悟は深くなっていると思う。いいこと、悪いことがあっても、いいことは当たり前だからゼロ。『こんな人がいたな』じゃなくて、所作、発声、軍配、指導力…そういうものがちゃんと評価される庄之助になりたい。過去の立派な庄之助さんに言われた言葉を、深く胸に刻んでやりたい」

 -偉大な先人からは多くを学んだ。最初に教えを受けた「雲の上の存在」である26代庄之助の姿は目に焼き付いているという。28代には戦中や戦後の角界、大横綱双葉山の話も直接聞いた。

 「28代の庄之助さんには『土俵に上がったら神になれ』と言われて。(結びで雰囲気がグッと変わるように)オーラで包み込むような気持ちで、という意味だと思います。それから“三位一体”。画角には力士2人と行司が常に一緒に入ること。安全のために避けたりはあっても、なるべく中に入って。それは非常に苦労している」

 -還暦を越えて、横綱ら最高峰の取組をさばく。数キロのウオーキングやスクワットなど体力維持の努力は日々欠かさない。

 「やっぱり長距離を歩いて、その間に発声練習というか、呼吸ですね。腹から声を出す。『はっ』て言いながら。腹に空気をためて絞り出す。そういうことも覚えてね。僕の兄貴は舞台役者だったんですよ。そういう指導も受けた」

 -ほぼ半世紀の行司人生。印象に残る一番には、21年名古屋場所千秋楽、白鵬現役最後の取組を挙げた。一方で部屋所属力士の大一番は公平に裁いていても、やはり力が入った。

 「白鵬の一番は足の踏み場がなかった。鷲のように手が広がるでしょ。幅が広いというか。体のデカさじゃなくて、やっぱりスピードとオーラがあふれ出ていた。あと、細かいところでは(高田川部屋の元十両で三段目)大雷童のね、幕内に上がるかという時の取組。嘉風と闘牙に負けた。それから幕下の時に優勝を懸けて朝青龍に負けた。その3番かな」

 -行司の仕事は多岐にわたる。取組編成の書記や勝負結果の記録、場内アナウンス、巡業の旅程の手配など協会の業務はもちろん、所属部屋の番頭的な役割も重要だ。土俵の上だけが仕事ではない。

 「やっぱり部屋とお客さんとの架け橋をするとか、お相撲さんのケアとか、そういうところが一番の仕事。よく先代の人に言われたの。『そういう仕事をしっかりやると、本場所の勝負も見られるようになる』と。それが如実に表れた時に、ああ、こういうことを言っていたんだなと。(定年の)9月22日を無事に迎えられたら、行司の醍醐味(だいごみ)を感じるかもしれない。でも、僕の喜びは部屋の力士の勝つこと。やっぱり部屋に所属したら家族ですから」

 -初場所から定年する秋場所までの5場所、木村庄之助として土俵に上がる。後進に伝えたいこと、大事にしてほしいことは。

 「やっぱり全て全力。土俵でね、発声にしても動きにしても、思いっきり自分を表現して、自分の生きざまを振り絞ってほしい。幕内に上がったら、どんなにやっても全然、格好をつけたりは見えない。お相撲さん(の存在感)にかき消されちゃうから。ウケ狙いで言うんだけど、自分は『ミスター130%』(笑い)。全力のその上。倒れるんじゃないかって心配してくれる人もいるけど、やっぱりそうしないとね」

 ◆行司の地位 力士と同様に番付社会で、序ノ口格から8段階に分かれる。基本的には年功序列。服装は幕下格までは裸足で、十両格から足袋を履くことが許される。三役格で草履を履き、腰に印籠(いんろう)を下げる。立行司の庄之助と伊之助は、さらに腰に脇差し(短刀)を差す(※1)。軍配を差し違えたら切腹する覚悟を示すという説もある。立行司が差し違えをした際は、理事長に進退伺を出すことが慣例となっている。

 ◆第38代木村庄之助(きむら・しょうのすけ) 本名は今岡英樹(いまおか・ひでき)。1959年9月22日生まれ。島根県出雲市出身。先代高田川親方の大関前の山に憧れて手紙を書き、75年4月に高田川部屋に入門。同年夏場所、木村秀樹の名で初土俵。木村和一郎だった2005年秋場所から幕内格。12年初場所で第11代式守勘太夫を襲名。13年夏場所から三役格。19年初場所から立行司に昇進し、第41代式守伊之助に。24年初場所から木村庄之助となった。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

スポーツ最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(スポーツ)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス