照ノ富士 4場所ぶり綱の威厳V9 3場所連続休場から復帰も新勢力の壁 不安は「もちろんありました」
「大相撲初場所・千秋楽」(28日、両国国技館)
横綱照ノ富士が13勝2敗で4場所ぶり9回目の優勝を飾った。本割で大関霧島を寄り切りで一蹴。関脇琴ノ若との優勝決定戦も寄り切りで制した。腰痛による3場所連続休場からの復活V。万全には程遠い状態で台頭する新勢力の壁となり、綱の威厳を示した。霧島は4敗目となり、綱とりは白紙に戻った。
格が違った。覚悟も違った。これが最高位を務める強さの真価。腰に爆弾を抱えながら、照ノ富士が次代を担う挑戦者を立て続けにはね返した。土俵下での優勝インタビューでは「最低3番ぐらいとる気持ちで来た。2番で終わらせてよかった」と話して余裕の笑み。ファンを喜ばせた。
圧倒的だった。本割では飛び込んできた霧島に左上手をつかみ、右はかいなを返して持ち上げるように前進。一気に土俵の外へ放り出した。決定戦では右四つで琴ノ若に頭をつけられた瞬間、左を巻き替えてもろ差しに。先に先に攻め、最後は粘る相手を寄り切った。
昨年名古屋場所以来の復帰。優勝決定後の支度部屋では、場所前の不安は「もちろんありました」と明かした。稽古も積めていない中での出場決断。それでも「出る以上は全部力を出し切ろうという思いでやってきた」という強固な意志で、中日から8連勝フィニッシュ。尻上がりに強さを取り戻していった。
長期休場に入った頃、腰は骨の一部が折れていた状態。椎間板に長いはりを刺し、炎症部分を洗う治療などで回復を目指した。いら立ちが募る時には、ウイスキーやワインを飲んで気を紛らわせたといい「そうでないとやってられないよ」と苦笑いで明かしたことも。そんな時期を「ケガは痛いだけ。心だけは折れないように、日々頑張ってきた」と振り返った。
若手の台頭は感じている。琴ノ若を「本当に力をつけてきたなと感じる」と称賛。「もっと鍛えて、次の番付を目指してほしい」とエールを送った。ただ、簡単に世代交代を許すつもりはない。見据えるのは「常々口にしてきた目標」という2桁10回目のV。満身創痍(そうい)の肉体を鋼の精神力でカバーし、挑む者の壁となり続ける。
◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・杉野森正山。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル出身。2009年3月に来日し鳥取城北高に相撲留学。11年1月に間垣部屋に入門し、5月の技量審査場所で初土俵。13年3月限りで部屋が閉鎖し伊勢ケ浜部屋に移籍。14年春場所で新入幕。15年夏場所で初優勝し、場所後に大関昇進。17年九州場所で関脇に陥落し、19年春場所で西序二段48枚目まで降下。20年7月場所で再入幕し、21年春場所後に大関に復帰。同名古屋場所後、横綱に昇進した。優勝9回、殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞3回。得意は右四つ、寄り。21年8月に日本国籍を取得した。家族はドルジハンド夫人、長男・テムジンくん。192センチ、176キロ。