恩師の金言を愚直に守る尊富士「記録よりも記憶に残る」小5から指導・越後谷清彦氏が語る抜群の相撲センス「本人の努力ですよ」
「大相撲春場所・千秋楽」(24日、エディオンアリーナ大阪)
新入幕の尊富士が歴史的快挙を成し遂げた。豪ノ山を押し倒して、13勝2敗とし、1914年夏場所の両国以来110年ぶりとなる新入幕優勝を飾った。初土俵から所要10場所目の優勝は史上最速。14日目に右足首を痛めた休場のピンチを乗り越え、記録ずくめの賜杯を手にした。
入門から2年足らずで角界の“超新星”となった尊富士。強さの土台は、相撲どころの故郷・青森で培われた。小5から5年間指導した恩師が「つがる旭富士ジュニアクラブ」の越後谷(えちごや)清彦監督(61)。歴史的快挙を成し遂げた教え子の原点を、喜びとともに語った。
出会った小学生の頃から、性格は変わらない。「優しいな。後輩の面倒も見るし、周りにも優しい。先輩を敬う態度もある」。越後谷監督は、そう尊富士の素顔を語る。金木中1年時に木造中に転校。強くなりたい、団体戦にも出たいという相撲への思いからだった。勉強は得意ではなく、教室では窓側の席が“指定席”。「『寝ててもいいけど、いびきはかくなよ』って言われていたって。でも、窓の外を眺めていて、火事の第一発見者になったことがあった」と笑いながら明かした。
指導し始めたころは、腕立て伏せもできず、体が硬くて四股も踏めなかった。「でも、相撲をやれば勝つ。勝ち方を覚えてしまって」と投げ技やはたきのセンスはあった。ただ、将来を考えて投げ、はたきは禁止に。「下半身を鍛えて、とにかく徹底的に前に攻める」という正攻法の相撲をたたき込まれた。中学時代は、四股500回、腕立て300~400回が日課。周りの倍以上の数をこなしていた。
「精神的に強い。1回負けた相手には絶対に勝つという気持ちでやっていた。最初は腕立てもできなかった子が、今はベンチプレスで220キロ挙げるんだから、大したもの。本人の努力ですよ」。そう称賛した越後谷監督。初場所後に道場を訪れた尊富士が、後輩の子供たちに「教えてもらっている人に言われているうちが華。やらされるんじゃなく、自分でやりなさい」と伝える姿を見て「自分でもそれをちゃんとやっていたから言えたということ」と成長を実感したという。
大横綱・大鵬の新入幕連勝記録に並んだ11日目、尊富士が「記録よりも記憶に残るような相撲をとりたい」と話した。これも越後谷氏が「記録よりも記憶に残って応援される力士になれ」と言い続けていたこと。「忘れてねえんだなと。大関までは頑張って、みんなに好かれる、応援される力士になってくれれば。そうすれば横綱の方から近づいてくるでしょう」。愚直に教えを守る姿勢をうれしそうに受け止め、さらなる高みに駆け上がっていく活躍を期待した。