曙さん急逝 横綱になっても謙虚さと思いやり、感謝の気持ちを忘れない男 死ぬなよな、五十半ばで【悼む】
大相撲で史上初の外国出身横綱となり、格闘家としても活動した元横綱曙の曙太郎(あけぼの・たろう)さんが4月上旬、心不全のため死去したことが11日、関係者の話で分かった。54歳で早すぎる別れに、ライバルの若乃花・貴乃花兄弟もショックを隠せなかった。また、多くの大相撲、プロレス、格闘技関係者が哀悼の意を表した。
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子供っぽいイタズラや会話がなぜ、こうもはっきり思い出せるのか。かなうなら戻りたい。
「ところでデイリー(私のこと)、ずっと頭の上に羽根生えてるの知らないの?」。東関部屋(当時)の曙の付け人の一人に言われて手を伸ばしてみると、街頭募金とかの赤い羽根だった。
1994年頃。横浜・伊勢佐木町にあったディスコクラブ。曙が貸し切りで広い1フロアを予約していた。部屋の千秋楽打ち上げパーティー後、幕下以下の若手力士の慰労のためにホテルから移動して飲んだ夜だ。
早くから「デイリーも来い」と誘われていた。酒席の開始前、別室で「今日はデイリーにあいさつしてもらおう」と曙に指名され、しゃべった。
「今場所はみんなご苦労さん。今日はじゃんじゃん飲んでくれ」。タニマチ気分でふざけて言ったのがウケた。若手力士は声をそろえて「デイリー、おめえ、お金1円も払ってねえじゃねえか!」。曙も笑いながら「ホント、偽タニマチだな。いいよな、オレの悪口しか(記事)書かないのに、ただ酒飲みに来て」
その別室からフロアへ移動する合間か。後で聞くと、曙は前を歩く私の隙を突き、赤い羽根を私の頭頂部にダーツの要領でヒョイと放って、頭皮のコンマ数ミリに刺していたのだ。(※良い子はマネしてはいけません)。付け人が教えてくれたのは、ようやくお開きで帰る直前の真夜中だった。
数年後、1面で特ダネ報道した結婚はしばらくして破談になり結果、誤報に。恨まれても仕方がないが「別にいいよ。デイリーも仕事で書いたんだろ」と許してくれた。
「ほしのさん」「ジョンさん」と、元高見若や元高見王、入門と年齢は上ながら番付は幕下の先輩に対し、曙は常に“さん付け”で呼んだ。横綱になっても謙虚さと思いやり、感謝の気持ちを忘れない男だった。
何年も前から厳しいのはテレビの特番で見て知っていたけど、死ぬなよな、五十半ばで。いつか再会できたら私をいじってまた、にやっと笑ってほしかったのに。でも今はもういい。本当に楽しい思い出をありがとう。(デイリースポーツ・河上俊明)