元大関貴景勝が引退会見「燃え尽きました」年寄「湊川」襲名で後進育成へ「根性と気合を持った力士を育てたい」
20日に現役引退と年寄「湊川」襲名を発表した元大関の関脇貴景勝(28)=本名佐藤貴信、常盤山=が21日、両国国技館で引退会見を開いた。
会見の場に立ち、「私、貴景勝は現役を引退し、年寄り湊川として後進の育成に精進してまいります。現役中はたくさんの人に応援していただきました。ありがとうございました」と自身から改めて引退を口にした。
大関から5年ぶりに陥落して秋場所に臨んだ貴景勝は、慢性的な首痛の影響で初日から2連敗を喫し、3日目から休場。「心の中では決まっていた部分もあったけど。振り返る時間が欲しかった」。11日目の夜に師匠の常盤山親方(元小結隆三杉)に引退を伝えた。
強烈なぶちかましと突き押しを武器に17年初場所で新入幕、18年九州場所で初優勝を果たし、19年春場所後に22歳7カ月の若さで大関に昇進。幕内優勝は4回を数えた。ただ、大関昇進後は膝、足首、胸などケガが絶えず、中でも長らく悩まされた首の痛みは、引退の大きな原因に。引退を決意した思いについては「小学校3年生から横綱になることだけを見て頑張ってきたんですけど、横綱を目指す体力と気力がなくなったので引退しました」と語った。
初めて大関から陥落した19年秋場所では1場所で大関復帰を果たしたが、2度目は叶わず。横綱・大関では平成以降で最年少、大正以降でも4番目に若い28歳1カ月で現役生活に別れとなったが、「年齢で相撲を取っていたわけではないので。自分が目指すものに対しての気力と体力がなくなったので、そこはもう自分の引き際だなと感じました」と潔い決断を下した。
今後は湊川親方として後進の育成にあたる。どのような力士を育てていきたいかと問われると、「相撲のスタイルは個人で向き不向きがありますから、それは特にこだわりはない。やっぱり武士道精神を持った、やっぱり僕が昭和の先輩から教えていただいた、今の時代には少し不向きかもしれませんが、根性と気合を持ったそんな力士を育ててみたい」と指導にあたる信念を語った。