北の富士さん 死去 82歳、第52代横綱 優勝10回 解説者としても人気
大相撲の第52代横綱北の富士の竹沢勝昭(たけざわ・かつあき)さん=北海道旭川市出身=が、12日午前に治療のため入院していた東京都内の病院で死去した。82歳だった。葬儀・告別式は故人の遺志により、20日に近親者のみで執り行われた。12月18日に八角部屋でお別れの会が開かれる予定となっている。
北の富士さんは1957(昭和32)年初場所、出羽海部屋から初土俵。ただ、幕下に上がるまで約4年も要するなど出世はスローだった。しかし、63年3月に新十両に昇進、同年11月には15戦全勝優勝を飾り64年初場所で新入幕。その場所でいきなり13勝を挙げて敢闘賞を受賞、翌場所は小結に昇進した。
その後は三役に定着して活躍、66年名古屋場所後に当時は大関が豊山1人ということもあり、直前3場所合計28勝ながら大関に昇進。当人はもちろん、周囲も大関に上がるとは想定しておらず、伝達式では兄弟子の佐田の山から黒紋付きはかまを借りたというエピソードは有名だ。
大きな転機となったのは、67年初場所後に元横綱千代の山の九重親方が出羽海部屋から独立して九重部屋を創設したことだ。出羽一門からは破門されたが、その直後の春場所で初優勝を決めて師匠は感涙にむせんだ。70年初場所で連続優勝を飾り、玉乃島(横綱昇進後は玉の海)とともに横綱昇進を果たした。
ライバル玉の海との“北玉時代”の到来が期待されたが、71年秋場所後に玉の海が急死。一人横綱となって懸命に大相撲の屋台骨を支え優勝10回を記録した。輪島、貴ノ花ら若手の台頭で世代交代が進み、74年名古屋場所で現役引退、年寄井筒を襲名した。
その後は独立して井筒部屋を創設したが、77年10月に先代九重親方が亡くなり、九重部屋を継承した。元横綱千代の富士、現八角理事長の北勝海らを育て、理事として審判部長、広報部長、巡業部長を歴任して98年に相撲協会を退職。NHK相撲中継の解説者として歯切れのいい語りで人気を博した。近年は体調不良で出演していなかった。
◇北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき)本名・竹沢勝昭 1942年3月28日、北海道旭川市出身。現役時代は185センチ、135キロ。優勝10回。57年初場所初土俵、70年初場所後に横綱昇進。74年名古屋場所中に引退。幕内通算592勝294敗62休(64場所)。親方として千代の富士、北勝海の両横綱らを育てた。相撲協会理事退職後、NHK大相撲解説者。