被災体験を経て得た人生のモットー「今できることを全力で取り組む」 ラグビー・三重・伊藤鐘史FWコーチ #阪神淡路大震災から30年
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から間もなく30年を迎える。節目の日を前に、未曽有の自然災害を経験した各界著名人が当時を振り返る企画「あの日、あの時」がスタート。今回はラグビー15年W杯イングランド大会の日本代表で、現在リーグワンの三重FWコーチ・伊藤鐘史氏。中学2年生だった当時、神戸市長田区の自宅で被災した。「魂が地面に沈んでいくような」壮絶な体験を振り返り、震災に対する思いを明かした。
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30年がたとうとしても、あの日の記憶はすぐによみがえる。あのとき、伊藤さんは神戸市長田区の自宅にいた。14歳、中学2年生だった。
「掛け布団を頭にかけるのが精いっぱいで、まったく動くことができなかった。長く感じ、揺れている最中に、魂が地面に沈んでいくような気持ちになりました」
震度は7。鉄筋コンクリートだった自宅は半壊。家の外に飛び出ると、いつもは見えない光景が広がっていた。地平線が見えた。当時、近所は木造住宅が多く、普段は2階建ての木造住宅が真っ先に見えるのに、1階が崩れたことで、遠くの景色が目に飛び込んできたという。
すぐに近くに小学校のグラウンドに逃げ込んだ。人が集まり、ドラム缶を集め、火をたき、ブルーシートをかけて屋根代わりにした。夜になると、友人の親の車内で友達と肩を寄せ合った。
「覚えているのは、車に天窓がついていて、星空がめちゃくちゃきれいだったこと。停電しているから真っ暗で、その分、星が輝いて見えた。ただ、先は見えないから絶望的な思いでした」
一月ほどの自宅外生活では、家の片付けを始めたり、給水場でポリタンクに水を入れて何度も家を往復した。手伝うことしかできず、無力さを感じていた。
「でも、生きているだけでありがたい気持ちでした。精神的にも一日生きていくだけで精いっぱいでしたから」
被災体験を経て得た、人生のモットーがある。『今できることを全力で取り組む』-。その後のラグビー人生にも影響を与えたのが、連続で攻撃している回数を示す『フェーズ』で「1フェーズ、1フェーズ、全力を傾けてプレーすることで、その積み重ねが結果につながっていく」と心に刻んできた。
震災から30年。「あっという間にたったんだな、という思い。それでも当時のことはすぐに思い出せるんです。昨日のことのように…」。風化が懸念される昨今だが「地震大国で、短いスパンで大きな被害を与える地震が起こっている。むしろ風化はないと思っています。ただ、防災への意識は、いかに当事者でも時間とともに少し薄れる。もしものときの行動や対策を意識するだけでも、命を大切にできる行動につながる」と提言する。
伊藤さんにとって1・17は「生きられていることは当たり前ではない。一生懸命生きていきたい」と再認識する日。三重を拠点にしている今でも、育ててくれた神戸への思いは変わっていない。
◆伊藤鐘史(いとう・しょうじ)1980年12月2日、神戸市出身。兵庫工高から京産大に進み、4年時には主将を務めた。03年にリコーに入社し、09年に神戸製鋼に移籍し、主にロックとして活躍。31歳のときに日本代表に初めて選出され、15年W杯イングランド大会の日本代表にも選ばれた。日本代表キャップは36。17~18シーズンで引退した。18年に京産大FWコーチ、20年1月に京産大の監督に就任。21年からリーグワン・三重のFWコーチを務めている。家族は妻と2男1女。