矢野、涙のラスト甲子園…移籍当時は「『星野のスパイか』って言われたわ」
【2010年10月1日付デイリースポーツ紙面より】
「阪神3-4横浜」(30日、甲子園)
こんな悲劇があっていいのか‐。2点リードの九回、阪神・藤川球児投手(30)が村田に逆転3ランを浴びまさかの逆転負け。優勝に向け、矢野燿大捕手(41)の引退セレモニーを飾るために必勝を誓ったゲームでの敗戦。阪神のマジックは消滅し、逆に首位・中日に1が点灯した。残り6試合。去りゆく矢野のためにも全勝で猛虎の意地を見せてくれ!
自力V消滅という悪夢の敗戦の空気を一変させた。「矢野コール」を背にグラウンドに姿を見せると、甲子園が大きく揺れた。出番が訪れなかった悔しさを押し殺し、精一杯声を張った。矢野からの、最後のメッセージだった。
「僕の持っている力以上のものを出させてくれた、タイガースファンの皆さん、感謝、感謝、感謝です」
セレモニーでスピーチを終え、マウンド上で選手に支えられて7度宙を舞った。九回、「矢野コール」をベンチ裏で聞き、準備を整えながらも訪れなかった出場機会。「僕個人のことでチームに迷惑をかけられない」。悔しさは残ったが、瞳に映った夜空に幸せな20年の思いをかみしめた。
4年連続の最下位で始まったタテジマ人生。そこから2度のリーグ優勝に貢献した。セレモニーでは金本、下柳、新井、鳥谷らに続き、スタンドで見守っていた3人の家族から、長女・晴菜さん(11)と次女・瑞季ちゃん(8)からも花束を受け取った。幸せだった。
「子供が、自分が野球をやってることを分かってもらえるまではやりたいと思ってたからね」
現役を続けた中での信念。辛くても、父親としての思いを忘れたことはない。引退の決断を家族に告げると、裕子夫人(42)と晴菜さんは、すぐに理解して受け止めた。次女・瑞季ちゃんの反応は少し違った。
「じゃあ、パパは何やるの?ケーキ屋さんになればいいじゃん」。無邪気な笑顔が胸に染みた。
「最初は、分かってくれてるんかなあって思ったけどね。でも、会見の様子をテレビで見てくれてたらしいんよ」
9月3日、涙の引退記者会見。自宅で瑞季ちゃんは生中継を見ていた。パパが涙を流す様子を見て、同じように感情があふれたという。プロ野球選手としての父親との別れ。小さな瞳からは、大粒の涙がこぼれていた。
「おれが泣いたのを見て同じように泣いてたらしくて。聞いた時はうれしかった」。伝わっていた思い。最後に確認できた。それで十分だった。
人柄がにじみ出る笑顔とプレーで、ファンからも愛された。「最初は中日からの移籍で『星野のスパイか』って言われたわ」。厳しいヤジに胸を痛めた13年前。今では声援を浴びる日々。答えは分かっている。野球が好きだから。タイガースを愛し、愛されたから。
一途な思いは、ユニホームを脱いでも変わらない。最後の一言。ありったけの愛情を込めた。「また、いつの日か、甲子園で会いましょう」。セレモニーでは笑顔でも、ロッカーに戻る際、ひっそりと涙を流していた。ありがとうタイガース。この夜のことは、ずっと忘れない。