「ONE TEAM」誇り高き終戦 ジョセフHC「敗戦受け入れさらに前進を」
「ラグビーW杯・準々決勝、日本3-26南アフリカ」(20日、味の素スタジアム)
初の準々決勝進出を果たした日本は、優勝候補の南アフリカに3-26で敗れた。主将でフランカーのリーチ・マイケル(31)=東芝=を中心に奮闘し前半は3-5。後半は相手の堅い防御を崩せず、逆に失点を重ねた。それでも最後まで闘志あふれるプレーに、日本中から熱い声援が送られた。W杯4強の夢は4年後のフランス大会でかなえる。
チーム一丸、日本中が一つになって挑んだ戦いは終わった。優勝候補に完敗。ジョセフ・ヘッドコーチ(HC)は「ハーフタイムで選手たちは少しダウンしていた。でも、私のチームは素晴らしい勇気、強い決意を持って最後まで頑張りました」とフィフティーンをたたえた。
チームが標ぼうするキーワードが「ONE TEAM」。ジョセフHCは「私がリードして、リーダーたちとともに、選手がベストを尽くせる共通目標として何かを掲げようとして、出てきたワードです」と説明する。
16年9月に就任。順風満帆ではなかった。「ONE TEAM」どころか、選手との間に確執さえあった。当時主将を務めた堀江は「初めはあんまりね。すれ違いが多かった」と振り返る。
前回15年イングランド大会以降は代表から離れ17年6月に代表復帰したリーチも「最初の頃、2人の間でゴチャゴチャはありました」。その理由を「エディージャパンとジェイミージャパンのスタンダードがまるで違っていた」と明かす。
例えばジョーンズ前HCは宿舎内の服装や靴に関しても厳しく規制したが、現体制ではなくなった。「同じくらい厳しくやりたかったけど、ジェイミーはそうじゃなかった」
昨年、ジョセフHCは、スーパーラグビー・サンウルブズのHCを兼務した。選手と共有する時間が増えたことが転機だった。堀江は「『いろいろ勉強させてもらった』とジェイミーの口からも選手に出た」と明かす。
「一番変化があったのは(昨年9月の)和歌山合宿。そこでガラッと変わった」とリーチは言う。歩み寄り、土台は築かれた。
W杯イヤーの19年は2月3日の代表候補集合から16回の合宿を重ね、メンバーを絞りながら計146日の共同生活を送ってきた。
ミーティングルームにはチームのシンボル「勝元」と名付けた赤いよろいかぶとが置かれた。部屋の柱には歴代の日本代表の名前や、キャップ数ランキングなどが英語と日本語で書かれていた。選手一人一人の名が記された試合日程入りのダイアリーを渡し、感じたことを記入させた。「そういう仕掛けを常に持っている。チーム愛、結束力を高めるためにやっている」とジョセフHCは説明する。
宮崎合宿中の3月。プロップ山本幸輝(ヤマハ発動機)、三上正貴(東芝)が作った替え歌「ビクトリーロード」は節目ごとに歌ってきた。合宿に参加してきた全ての選手を含めて「ONE TEAM」。試合後のロッカーで歌い、今では試合会場でファンも歌う。
日本協会からは、すでに続投オファーを受けているジョセフHCは試合後、「チームとして本当に誇りに思っている。この敗戦を受け入れて、さらにまた前進していきたいと思う」と話した。世界の頂点を目指す日本のビクトリーロードにはまだ、続きがある。