平尾誠二さんの決断「彼は日本人の魂を持っている」 盟友が語る命日の準々決勝(1)

 「ラグビーW杯・準々決勝、日本3-26南アフリカ」(20日、味の素スタジアム)

 20日は2016年に胆管細胞がんにより53歳で亡くなった「ミスターラグビー」平尾誠二さんの命日だった。平尾さんが生きていたら、どんな思いでこの一戦を見つめたか。親交が厚かった日本ラグビー協会理事の土田雅人氏(56)、同技術委員会委員長の中山光行氏(53)、元日本代表で京産大ラグビー部コーチの伊藤鐘史氏(38)に、故人に寄せる思いを聞いた。=その1=

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 「偶然なのか必然なのか」。盟友の命日に重なった一戦を、土田雅人氏はこう表現した。同志社大時代には大学選手権3連覇をともに経験。平尾ジャパンではFWコーチを務め、2015年には平尾さんとともに協会理事としてジョセフHCの招へいに携わった。「誰を監督にするか、何十時間もかけて議論して選んだ」と当時を懐かしむ。

 「日本をよく知っている、選手を知っていることが大条件だった」。平尾さんは日本代表監督だった99年、サニックスでプレーしていたジョセフを代表に初選出していた。「ジェイミーが受けてくれてここまで来た」。2人が指揮を託した男には特別な思いがある。

 現在の日本代表を、リーチ主将は「ダイバーシティー」と表現する。「多様性」の意味が転じて企業で人種、国籍、性別、年齢を問わずに人材を活用することを示す言葉だ。

 「当時からダイバーシティーの考えがあった」と土田氏は言う。98年、平尾さんは代表の主将を元木由記雄からニュージーランド出身のアンドリュー・マコーミックに代えた。初の外国人主将。「彼は日本人の魂を持っている」。既成概念にとわれない平尾さんらしい決断だった。

 ジョセフHCが率い、7カ国にルーツを持つ選手をリーチ主将が束ねるジャパンの躍進は平尾さんなくして語れない。「生きていたらうれしいだろうな、と思います」と土田氏は故人を思いやった。

 ◆平尾誠二さん 1963年1月21日、京都市出身。京都市立伏見工業高(現京都工学院高)3年時、全国高校大会での初優勝に貢献。同志社大では大学選手権3連覇、神戸製鋼では日本選手権7連覇。19歳で日本代表入りし、W杯は87年の第1回大会から3大会連続出場。34歳で日本代表監督に就任し、99年の第4回大会を指揮した。

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