山田五十鈴さん死去 95歳多臓器不全

 戦前から映画、舞台で活躍し、女優として初めて文化勲章を受章した女優・山田五十鈴(やまだ・いすず、本名美津=みつ)さんが9日、午後7時55分、多臓器不全のため東京・稲城市の病院で死去した。95歳。13歳で日活に入社し、ドラマ「必殺」シリーズでも存在感を示した。私生活では結婚、離婚を繰り返し、一人娘の女優・瑳峨三智子さんと死別するなど、波乱の人生だった。2002年に体調を崩してからは入院生活を送り、一線からは遠ざかっていた。

 1930年に13歳で映画デビューし、戦前から70年以上も第一線で活躍した名女優が静かに人生の幕を下ろした。肉親のいなかった山田さんは、入院していた都内の病院で担当医師や看護師に見守られながら息を引き取った。

 山田さんと44年の付き合いがあった演出家の北村文典氏(66)によると、山田さんは亡くなった9日も昼前には意識があった。酸素マスクをつけていたが、自身で弾いた三味線の録音テープに合わせて首を動かしていたが、夜になって急変。最期は医師や看護師がみとった。病院に駆けつけた北村さんは「お肌もツルツルしていて、95歳とは思えなかったですね」と振り返った。

 山田さんは02年、住居代わりにしていた東京・帝国ホテルで脳こうそくを起こして倒れ、入院。05年からは東京都稲城市の現在の病院に移っていた。近年は意識が混濁することがあり、女優として活躍していたころを思い出したかのように、スタッフに配る差し入れの相談を北村さんにすることもあったという。

 また、病室では2月5日の誕生日に毎年、俳優・西郷輝彦(65)、榎木孝明(56)、市村正親(63)、高嶋政伸(45)らによる「養子会」のメンバーが集まり、パーティーを開いていたという。

 山田さんは、新派の役者山田九州男と元芸者の母の間に生まれ、6歳から芸事に親しみ、13歳で日活に入社した。溝口健二監督の「祇園の姉妹」(36年)、成瀬巳喜男監督の「鶴八鶴次郎」(38年)、戦後も黒澤明監督の「蜘蛛巣城」(57年)など巨匠の作品に出演。60年代からは舞台に活動の場を移し、74年に「たぬき」で芸術祭大賞を受賞。93年には文化功労者に選ばれ、00年に文化勲章を受章した。

 私生活では俳優・月田一郎さんら3人と結婚し、共演者、監督らと数々の浮名を流したことも。月田さんとの間に生まれた一人娘の女優・瑳峨三智子さんとの死別など、波乱の人生を送った。

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