大滝秀治さん難聴・腰痛…満身創痍だった
今月2日に肺扁平(へんぺい)上皮がんのため87歳で亡くなった俳優・大滝秀治さんの「お別れの会」が22日、東京・青山葬儀所で営まれ、女優・奈良岡朋子(82)ら劇団「民藝」の仲間、女優・八千草薫(81)、俳優・阿部寛(48)、浅野忠信(38)ら980人が参列した。演芸評論家の矢野誠一氏(77)は、大滝さんが聴力をほぼ失っていたことを弔辞で明らかに。参列者は、満身創痍(そうい)で舞台に立ち続けた大滝さんの壮絶役者人生に心を寄せ、その死を悼んだ。
役者一筋の人生。大滝さんは傷だらけになりながらも、舞台に戻ることを望んでいた。
矢野氏は弔辞で、大滝さんが小学5年生のときに右耳を切開手術し聴力を失っていたこと、29歳で吐血し左肺手術のため左耳も難聴となっていたことを明かした。その後、37歳で強度の腰痛となり、50年間コルセットを付けながら演技を続けていたという。俳優としては致命傷ともなりかねないハンディキャップ‐。だが大滝さんはそれをみじんも感じさせない数々の名演技を披露し、最後まで現役を貫いた。
それを支えたのは徹底して役にのめり込む集中力。大滝さんを師と仰ぐ脚本家・倉本聰氏(77)は、「北の国から」で牧場主を演じた大滝さんが、近所の牧場で働いている人から強引に衣装を借り「追いはぎの大滝」と呼ばれていたエピソードを披露。また、「民藝」の共同代表で「家族よりも一緒にいる時間が多かった」という奈良岡も「舞台の裏で衣装のまませりふをブツブツ言ってて、あまりにうるさいんで『立入禁止』って区切って(大滝さんが)入れないようにしたりしました」とその役者バカぶりを明かした。
弔問客に配られたカードには2010年の舞台「巨匠」のパンフレット用に撮影された笑顔の写真と亡くなる10日前に書いたという色紙が印刷された。色紙に書かれた文面は「駄目だと思ったり、まだやれると思ったり」。不安を抱えながらも、最後まで俳優でありつづけた大滝さんらしい言葉。多くの人の心に存在感と名演技を残し、大俳優は静かに旅立っていった‐。