桜田淳子さん無言で17年ぶり公の場
すい臓がんのため23日に死去した芸能事務所「サンミュージックプロダクション」の設立者で会長の相澤秀禎氏(あいざわ・ひでよし、本名・相澤與四郎=あいざわ・よしろう、享年83)の通夜が28日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれ、森田健作千葉県知事(63)や元歌手で元女優の桜田淳子さん(55)、歌手・松田聖子(51)、女優・酒井法子(42)ら1500人が参列した。1996年の統一教会の式典以来、公の場に姿を見せた桜田さんは、恩人との最後の別れを惜しんだ。
弔問客もひと段落した午後7時21分、桜田さんが式場へ姿を見せた。アイドルのころと比べて、ふっくらとしたものの、当時の面影もかいま見せていた。96年に統一教会のイベントに出席して以来、17年ぶりに公の場に姿を見せたのは、“育ての親”に最後のお別れをするためだった。
45年の歴史を持つ同事務所にあって、相澤氏が初めて育てた人気女性アイドルが桜田さんだった。73年にデビューし、同世代の森昌子、山口百恵と「花の中三トリオ」として、国民的アイドルになった。その後は女優としても活躍したが、92年、統一教会の信者として合同結婚式に参加。芸能活動は93年の映画「お引越し」への出演が最後で、2年後に事務所との契約を解除。事実上の引退となった。
相澤氏とは、06年に桜田さんがエッセー集「アイスルジュンバン」を出版する際、あいさつのために顔を合わせたのが、最後となった。この日は代表曲「わたしの青い鳥」が流れる中、祭壇に手を合わせ、無言の恩人と対面した。久しぶりの公の場とあって後輩の早見優(46)、香坂みゆき(50)、太川陽介(54)らと旧交を温めた。
数多くのスターを世に送り出してきた相澤氏。亡きがらを乗せた車は、都内の安置所から東京・新宿のサンミュージック本社の前を通り、多くの社員、関係者が見送る中、式場へと入った。“父”を慕って、森田氏や聖子、酒井ら大勢の“息子”や“娘”たちが駆け付けた。
戒名は、秀でた音楽の才能で人々の心を癒し、偉大なる名誉と多くの尊敬を集めた最高の人という意味を込め、「幸響院讃譽秀偉浄楽清居士(こうきょういんさんよしゅういじょうらくせいこじ)」と付けられた。誰もが「いつも明るく見守ってくれた」と言う、祭壇でほほえむ相澤氏の遺影を目にした多くの人が、涙した。