仙さんも「甘えた」先生…山口洋子さん
直木賞作家で作詞家としても活躍し、昨年9月6日に死去した山口洋子さん(享年77)のお別れの会(デイリースポーツなど12社が発起人)が28日、東京・虎ノ門のホテルオークラで開かれた。生前の幅広い親交ぶりをうかがわせるように、出版界、芸能界、スポーツ界から多くの著名人が出席。山口さんに見いだされスターへの道を歩んだ五木ひろし(66)が、自身が作曲し、山口さんが詞をつけた唯一の楽曲「渚の女」を献歌するなど、約300人が別れを惜しんだ。
「山口洋子さん お別れの会」には、プロ野球OBも多数参列した。デイリースポーツで1978年から10年間「山口洋子のプロ野球キャンプ巡り」という企画で12球団のキャンプ地を訪問。選手や監督と交流を結んできた。元阪神監督の星野仙一楽天シニアアドバイザー(68)、阪神、西武で活躍した野球解説者の田淵幸一氏(68)は一緒に取材に応じ、“洋子ママ”との思い出話に花を咲かせた。
山口さんは本紙企画で、2月になるとキャンプ地を巡った。大の猛虎ファンだったが、気さくで愛くるしい人柄は阪神以外の選手たちからも愛された。星野氏と田淵氏も、そんな“キャンプのマドンナ”に憧れた。
田淵「キャンプには毎年来ていたからね。周りの人はやせろ、やせろといってたけど、実際にやせたら山口先生は『あんた、魅力がないわ』ってしかってくれた。結局、元に戻りましたけどね」
星野「ユニホームのまま、女性とハグしたのは先生だけだな。キャンプに来てくれるのが楽しみでね。よく『いつ来るんだ』と連絡をしたもんですよ。姉貴という存在で、われわれは甘えてましたね」
田淵氏は1982年、西武の主砲として初優勝したときの豪快なエピソードも披露。
「先生が、優勝したら『姫』を貸し切ってどんちゃん騒ぎをしていいよと、約束してくれて。本当に優勝してやらせてくれた。気さくで太っ腹で、たまに女、たまに男という引き出しが多かったな」
この日は衣笠祥雄氏(68)、山本浩二氏(68)、江夏豊氏(66)など“昭和の球界”を彩ったオールスターがお別れに訪れた。ギャラリーの写真パネルでは、ON、ノムさん、バース氏らが山口さんとじゃれ合うショットが飾られた。
野球愛と笑いに満ちた会場に、星野氏は「洋子ママは暗いとか悲しいのが好きじゃないので、明るくていいんじゃないかな」と目を細めていた。