「寺内貫太郎一家」の加藤治子さん死去
ドラマ「寺内貫太郎一家」のお母さん役などで知られる女優・加藤治子さんが2日午前7時7分に心不全のため都内の自宅で死去したことが5日、明らかになった。92歳。東京都出身。「寺内-」のほかにも多くのドラマや映画、舞台に出演、「日本のお母さん」としてファンに愛された。3年前から体調を崩し、昨年から自宅療養していた。本人の遺志により家族葬が行われた。「送る会」などの予定は今のところないという。
昭和を代表する女優がまた1人、舞台を去った。
最後の出演作品は2011年9月9日に放送されたフジテレビ系「金曜プレステージ特別企画 宮部みゆきスペシャル 魔術はささやく」。88歳という年齢を感じさせない姿で、母親役を演じた。
その後、体調を崩して自宅で療養。マネジャーや友人が身の回りの世話をしていた。関係者によれば、87歳の時に乳がんと診断され余命宣告を受けたが、治療を受けて「治っていた」という。最近では、定期的に医師の往診は受けていたものの、入院などもしていなかった。「ご高齢ではあったが病名があるような病気はなかった」という。
39年に銀幕デビューした加藤さんは、その後は舞台、映画、テレビドラマで活躍。1964年のTBS系「七人の孫」でお茶の間の注目を集めた。
転機となったのは74年の同局系「寺内貫太郎一家」。着物姿で小林亜星の妻・里子を演じて大人気に。名物だった小林と西城秀樹のとっくみあいのケンカシーンでは、2人に割って入り家族をまとめる“強くて優しい母”のイメージが定着。森光子さん、山岡久乃さんらと並ぶ「日本のお母さん」とも称された。ドラマは平均視聴率は30%を越えるヒットとなった。
「寺内-」、NHK「阿修羅のごとく」などのドラマの脚本を書いた作家・向田邦子さんとは私生活でも仲が良く、向田作品に欠かせない存在でもあった。また、アニメ映画「魔女の宅急便」「ハウルの動く城」では声優に挑戦。2002年には勲四等宝冠章が贈られた。
華々しい女優生活の一方、私生活では46年に結婚した劇作家の加藤道夫さんと死別。58年には演出家で俳優の高橋昌也と再婚したが、73年に離婚した。子供はおらず、その後は独身を貫いた。
加藤さんはこの世を去ったが、あの“昭和のお母さん”の温かな笑顔は皆の心に残り続ける。