三山ひろし 孝行息子がつかんだ初紅白
大みそかの「第66回 NHK紅白歌合戦」の出場歌手が発表され、三山ひろし(35)が初出場となった。
09年のデビューから7年目でつかんだ栄冠。スケジュールの都合で初出場歌手の会見には出席できなかったが、VTRで「僕を歌手にさせたかった祖母の夢をかなえることできることは、本当にうれしいことです」「故郷・高知を25歳で離れた時の気持ちを忘れることはない」などと喜びを語った。
その言葉には深い思いが込められている。
他の多くの歌手がそうであるように、三山も子供の頃から歌手になることを目指していた。だが高校卒業と同時に、一度はその夢を自ら絶ったのだった。理由は「母親を楽にさせたい」との思いだった。
小学校の時に両親が離婚。2人の子供を引き取った母親は、レストラン、弁当屋、新聞配達、シシトウのパック詰めなど寝る間もなく働いた。そんな母を助けようと、三山も中学時代は新聞配達、高校時代はガソリンスタンドでアルバイトをして家計を支えた。
そして「自分は長男だから」と高校卒業後は歌手の夢はあきらめて就職。給料の半分以上を母親に渡し、家族を支え続けた。
そんな孫の姿に、祖母が心を痛めていた。一度は歌の道をあきらめた孫に「夢を追ってほしい。そして歌手になって紅白に出てほしい」と思っていた。もう一度歌手の道に目を向けようと考えた。面と向かって言えば本人も抵抗する。少しづつ歌の道に引き戻すことにした。
手始めに、詩吟教室へ一緒に通い始めた。再び歌うことを楽しむようになった三山。そして祖母は「NHKのど自慢」(04年1月)に三山に断りなく勝手に応募。出場した三山は、その回のチャンピオンになり、2カ月後のチャンピオン大会にも出場した。
これが封印していた三山の思いを呼び起こした。再び歌手の道を意識し始めた。なかなか踏ん切りがつかなかったが、最後は祖母そして母親の「一度きりの人生。悔いがないように生きてほしい」と言葉が後押しとなり上京した。
演歌歌手の松前ひろ子が経営する「LIVEレストラン青山」で働きながら、松前の夫で作曲家・中村典正氏の下で3年間の修業を経て歌手デビュー。実は、松前に出会って最初に言った言葉は「歌手になりたい」ではなく「親孝行をしたいのです」だった。
母と祖母には電話で初出場決定を報告した。母は最後まで信じられない様子で、祖母は泣いて喜んでくれたという。
3段の腕前を持つ“けん玉歌手”としても名を上げているが、晴れの舞台となる本番では「ビタミンボイス」と呼ばれる美声を全国へ響かせアピールするつもり。そんな孝行息子のステージに注目だ。(デイリースポーツ・栗原正史)