たかみな、誰からも愛された“裏の顔”
AKB48を2005年12月の劇場デビューから引っ張り続けた高橋みなみが、25歳の誕生日を迎えた今月8日、グループを卒業した。300人以上のメンバーを束ねてきた初代総監督。スタッフの「たかみなにはすごく世話になったから、いい形で送り出してあげたい」という思いも結実しての、旅立ちとなった。
秋葉原の専用劇場での卒業公演で、ラストシーンに着用したのは、「自分の結婚式でも着たい」と思いを込めた純白のドレス。3月下旬、最終フィッティングをした際には、高橋も衣装部スタッフも号泣した。10年間のさまざまな思いが脳裏に浮かんだに違いないが、高橋は「これからも大変だと思うけど、よろしくお願いします」と後輩メンバーを託す気持ちを、スタッフに伝えた。
幾度となく高橋を取材してきたが、報道陣からも愛される存在だ。卒業公演の終演直後、ドレス姿のままで臨んだ会見でも、象徴的なシーンがあった。
「ファンやスタッフの皆さんが48グループをいろんな形で支えてくださり、記者の皆さんにも集まっていただけたのは素晴らしい環境でした。10年間、本当にありがとうございました」。アイドル生活を振り返った会見で、我々にまで感謝の言葉を向けた。
退出の際、報道陣から拍手が起きると、笑顔だった高橋の瞳が涙であふれた。「これからも私の記者会見に遊びに来てくださいよ!!だって、イヤだもん、みんながいなくなるの。AKB48の会見でも、メンバーをどんどんイジってあげてくださいね」。ラストメッセージを残して会見場を後にした。
締め切りが迫っていたとあって、多くの記者がその場に残って原稿を執筆していると、約1時間後、ドレスから私服に着替えた高橋が、再び感謝を述べるためだけに、わざわざ戻ってきてくれた。AKBのリーダーとして最後の最後まで、心遣いの人だった。
あの日の会見で、個人的に印象に残った言葉がある。「死ぬほど忙しい時期に、感謝することを忘れていた自分を悔やんでいます」という反省の弁。これを聞いた関係者は、次のように回想した。
「彼女たちは朝から夜まで仕事が続くので、忙しすぎて気持ちがとがるのは、誰しもが経験すること。でも、たかみなが悪態をつくようなところは、一度も見たことはありません。グループの長である、たかみな頼りでしたから。いろんなことで負担をかけました」。卒業直前、高橋は病院に行くほど体調を崩した時期もあったが、限られたスタッフにしか明かさず、最後まで走り抜く覚悟を示していたという。
卒業翌日は朝9時から仕事で、ファッションショーの司会を務めた。幼いころからの夢で、今後の本業となる歌手として、14日にはソロコンサートも開催。新CMも始まるなど、“独り立ち”の順調なスタートを切った。
高橋の所属事務所の尾木徹社長は、かねて「たかみなには将来、政治家になってほしい」と期待を寄せている。高橋自身は「社長の老後の楽しみのようになってるんですよ。自分にやりたいことがあるから卒業するので、まずそれを全うします」と、今のところその気はゼロ。
衆院議員などの被選挙権を得る、25歳になった日に門出を迎えたのも、何かの縁か-。いつか驚きの転身を遂げて、政治の世界で卓越した統率力を発揮する姿を、見てみたい気もする。
(デイリースポーツ・丸尾匠)