巨泉さん参院議員トップ当選も党議拘束嫌い半年で辞任 コラムでは鋭い視点
タレントでテレビ司会者としても人気を博した大橋巨泉(本名・克巳)さんが、12日に急性呼吸不全のため82歳で亡くなっていたことが20日、わかった。
民進党の菅直人元首相(69)が20日、民主党の参院議員を務めた大橋巨泉さんに対して「自由人で党議拘束になじめなかったが、筋の通った人だった。もっと独特なコメントや話を聞きたかった」とと悼んだ。
巨泉さんは01年の参院選に当選したが、出馬を口説いたのが菅氏。「当時、週刊現代のコラムでかなり厳しく小泉政権を批判しているのを読んで、滞在先の米ロサンゼルスまで『出てもらえないだろうか』と話しに行った」という。
比例代表からトップ当選したが、わずか半年で辞任。「党議拘束にしばられるのは嫌だし、無視すると党にも迷惑をかけることになるからと。でも繰り上げ当選するツルネン・マルテイ氏がリベラルなので、考えを引き継いでもらえると思ったようだ」と辞任にまつわる巨泉さんの葛藤を明かした。
巨泉さんは歯に衣(きぬ)着せぬ発言で知られたが、6月27日発売の「週刊現代」に掲載したコラムが生前に発表した最後のメッセージとなった。
「最終回」と記したコラムでは「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません」と、1994年にスタートした連載を終える理由を説明。最後の原稿も妻・寿々子さんと弟・哲也さんの力を借りて作成したことを明かした。
その上で「このままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい」として安倍晋三首相について「野望は恐ろしいものです」と批判。参院選での野党への投票を呼び掛けていた。読者や関係者への感謝の気持ちもつづっていた。