石原プロ“名番頭”小林正彦さん急逝 裕次郎さん&軍団支えた豪腕

 故石原裕次郎さんと石原プロモーションの経営を支えた元専務の小林正彦さんが10月30日午前8時55分に虚血性心不全のため死去していたことが3日、分かった。80歳。三重県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。映画「黒部の太陽」やドラマ「大都会」「西部警察」などの製作に携わり、石原プロの多くの作品で陣頭指揮を執った豪腕だった。

 裕次郎さんと石原プロの「大番頭」がこの世を去った。

 関係者によると、10月30日の外出中に倒れ、救急車で病院に搬送されたが助からなかった。遺言により葬儀は家族のみの密葬で、渡哲也(74)ら事務所関係者も知らされていなかったという。2011年3月に体調を理由に退社。糖尿などの持病があり、第一線から退いて定期的に検診を受けていたという。

 ホテル勤務時代に数々の武勇伝を残したのち、系列の日活撮影所に勤務。関係者が「義理人情に厚く、リーダーシップと人を巻き込む力が強い」としのぶ豪胆な人柄が裕次郎さんに見込まれ、1965年に石原プロに入社した。

 「コマサ」の愛称で知られ、興行的失敗で経営が傾いていた石原プロを独自のスタイルで再建。72年に裕次郎さんが初めて制作したテレビドラマ「太陽にほえろ!」がヒットすると、テレビ界への本格進出を後押しし、石原プロの黄金時代を築いていく。

 「西部警察」では代名詞ともなった大爆破や大がかりなロケ、全国縦断キャンペーンなどの規格外の撮影を陣頭指揮。石原プロ名物の大規模な炊き出しを始めたのも小林さんだった。裕次郎さん、渡の2大スターとともに「石原軍団」のカラーを確立。裕次郎さんの二十三回忌となる2009年7月5日には東京・国立競技場に12万人を集める法要を取り仕切り、裕次郎さんと石原プロのスケール感をファンに提示し続けた。

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