鈴木清順監督逝く 映画「ツィゴイネルワイゼン」などで独特の映像表現
「ツィゴイネルワイゼン」など、鮮やかな色彩感覚と様式美あふれる作品で知られた映画監督の鈴木清順(すずき・せいじゅん、本名清太郎=せいたろう)さんが13日午後7時32分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため東京都内の病院で死去していたことが22日、分かった。93歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻崇子(たかこ)さん。
鈴木監督は、一目で誰の作品か分かる映画を撮った。鮮やかな色彩、意表を突く構図、人を食った物語。時に作風が難解だと評されることもあったが、見る人を驚かせ、面白がらせることを考え続けた映画人生だった。
学徒出陣後、1948年に旧制弘前高校卒。松竹から日活に移籍し、56年「港の乾杯・勝利をわが手に」で監督デビューした。和田浩治さんや宍戸錠主演のアクション作品で斬新な色彩感覚を発揮。木村威夫美術監督と組んだ小林旭主演「関東無宿」や渡哲也主演「東京流れ者」などで舞台的な様式美を見せた。66年の「けんかえれじい」は自らの青春体験を反映させた秀作だった。
畳をガラスに仕立てて真下から撮影したり(「刺青一代」)、殺し屋がアドバルーンの上に乗って逃げたり(「殺しの烙印」)と、常識はずれな“見せ方”で観客の度肝を抜いた。
日活から「訳の分からない映画ばかり作られては困る」と、67年の「殺しの烙印」を最後に解雇されたが、日本映画監督協会など各映画団体の支援を得た裁判の末、日活と和解。だが、77年の「悲愁物語」までの10年間、テレビドラマやCMを演出するだけの“幻の監督”と言われた。
80年の「ツィゴイネルワイゼン」が、日本アカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀監督賞に輝いたほか、ベルリン国際映画祭でも受賞するなど国内外で高く評価された。
米アカデミー賞13部門で歴代最多タイの14ノミネートを果たした映画「ラ・ラ・ランド」(24日公開)のデイミアン・チャゼル監督(32)は1月の来日会見で、影響を受けた作品に「東京流れ者」を挙げた。
白ひげの仙人のような風貌でテレビや映画に俳優としても出演した鈴木監督。88歳だった2011年には48歳下の女性との再婚が報じられた。
一時代を築いた巨匠の独特の映像美は「清順美学」と呼ばれたほど。05年の「オペレッタ狸(たぬき)御殿」が最後の作品となった。