三遊亭円歌さん通夜営まれる 戦後の江戸落語支えた大スターに400人が別れ
元落語協会会長で、23日に結腸がんによる腸閉塞のため85歳で死去した落語家の三遊亭円歌(本名・中沢円法=なかざわ・えんぽう)さんの通夜が26日、東京・青山葬儀所で落語協会葬としてしめやかに営まれた。戒名は「本遊院圓法日信法師(ほんゆういんえんぽうにっしんほうし)」。戦後の江戸落語を支えた大スターに別れを告げるべく、落語家の三遊亭好楽(70)、三遊亭小遊三(70)、桂文枝(73)ら400人が参列した。
故・初代林家三平さんとともに爆笑を巻き起こし、戦後の日本を元気づけた円歌さん。会場には、代表作である「中沢家の人々」「授業中」などの音源が常に流され続けた。
遺影に用いられたのは、8年ほど前に東京・国立演芸場の高座で撮影された写真。祭壇には「授業中」の一節で、特に爆笑をさらった「山のあな、あな」の文字が並べられた。死の直前まで高座に思いを馳せていた円歌さんらしく、遺体には紋付き袴が着せられ、棺の中には扇子、手ぬぐい、草履といった落語家の必須道具が納められた。
「出番前から爆笑が起きる」と称され、誰もが認める名人だった。交流が深かったという好楽は「あの(立川)談志師匠が『アニキにゃかなわねえや』ってうなってるんです。他人様を笑わせる商売に一番向いていたと思います」と述懐した。
妻で喪主の令子さんは「(亡くなる前々日の)21日には、お寿司を食べて、焼肉も食べて、ビールも飲んでいました。具合が悪くなったのは、1日2日だったんです」と、突然の死であったことを説明。円歌さんは大の病院嫌いで、3月に2週間ほど入院した後は「二度と病院には入れない」と約束。弟子で、落語協会初の女性真打となった三遊亭歌る多(54)は「みんなでその約束を守れて良かったです」と涙ぐみながら明かした。
死の直前、令子さんに向けた最後の言葉は「ありがとうね」だったという。「わがままで、でもやさしくて、お酒も好きで、女の人も好きで、幸せな人生だと言っていました」と令子さん。突然去ってしまった最愛の夫を愛おしむように、笑顔で話した。