阿藤快さん息子「父との思い出はない」20年超の断絶を語る
2015年に亡くなった俳優の阿藤快さんの息子・基(もとい)さんが5日放送の「爆報!THEフライデー」(TBS系、金曜、後7時)に出演し、父と断絶状態だったことを明かした。
基さんは容姿は快さんとうり二つ。トラック運転手を経て1年前から工場で勤務していると紹介された。
一般的にはおおらかで、仕事場でもムードメーカー的な存在というイメージが強い快さんだが、基さんにはまったく違う人物として刻み込まれていた。幼い時は近所のパチンコ屋にいる快さんを探して「時間だよ」と仕事に向かう時間の連絡をするぐらいの会話しかなかったといい、「ちょっとしか会ってないから父親の思い出はない」と振り返った。
基さんが小学5年の時に両親は離婚し、母親と暮らすことを選んだ。両親と自分との3人で月に1度は食事をする約束をするにはしたが、それは果たされないまま。思春期には、酔って電話をしてきた快さんに「どのつら下げて電話してきてんだ。いい加減にしろよ」と怒鳴りつけ、断絶は決定的になった。
20年以上、顔を合わせることがないまま、快さんの急死を受け喪主を務めた基さん。旅番組のリポーターとして人気だった父親のサインを街中で見かけ、父について知りたいという思いにかられるようになった。
店が存続の危機にひんした際に救われたという唐揚げ店や、ひいきにしてもらったという旅館の話。さらに、俳優仲間の斎藤洋介がVTRで快さんの温かい人柄について証言する中、女優の名取裕子が基さんと直接会って、思い出を語った。
同じ神奈川出身で「仲良く松竹に通った。おもりをしてもらっていた」といい、お兄さんのような存在だったという。名取の父親が亡くなった際は、「この次、こいつがやるときはオレ出ます」とプロデューサーに申し出て、舞台「吉原炎上」に原作にない役をつくってもらってまで共演者としてサポートしてくれたというエピソードを語った。
若い俳優が居酒屋で行っている演劇をサポートしていたことも基さんに明かし、「本当は1番してあげたかった基くんにやってあげられなかった自分への贖罪(しょくざい)だったのかもしれない」と胸中を代弁した。基さんも神妙な面持ちで聞き入っていた。
最後に、基さんは父の墓前で「お父さんの息子だよというのを、誇りを持って生きていきます。これからも見守ってください」と手を合わせ、心のわだかまりが晴れた様子をうかがわせた。