宮本亜門氏、ジャニーズ顔の演出家と言われた苦難の船出…30周年の思い出明かす
演出家の宮本亜門氏(59)が15日、出身地の東京・銀座で演出家生活30周年記念パーティーを開催。森公美子、中尾ミエ、渡辺えり、片岡愛之助・藤原紀香夫妻ら約210人が祝福に駆けつけた。
1987年の「アイ・ガット・マーマン」で演出家デビューを飾って以来、これまで手がけた作品は118本。今年もすでに2本の演出が決まっており、120本の作品を世に送り出すことになる。単純計算で年4本という売れっ子演出家となったが「劇団も持たない自分がやっていけるのか心配だったが、皆さんが支えてくださった。自分でも信じられない」と感激の表情を浮かべた。
宮本氏はデビュー当時を振り返り「ジャニーズ顔の演出家とか言われてね。こんな顔でできるのかと言われた」とコメント。それでも「演出家になる」という学生時代の夢を叶えるために、実は劇団四季のオーディションも受けていたことを明かした。
「コーラスラインのオーディションに受かって、1カ月徹底的に稽古してね」。もちろん劇団側からは正式な団員としての誘いもあったと言うが、最初から演出の勉強と割り切ってオーディションを受けていたため「演出家になりたいので」と断り、演者として舞台に立つことはなかったという。「稽古だけしてって怒られた」と宮本は苦笑いで振り返ったが、当時劇団四季にいた市村も「断って良かったんだよ。だから(演出家として)30年迎えられたんだから」と当時を懐かしんだ。
演出家として長く続けてこられた理由の一つが「本物志向の役者との出会い」だったとも振り返る。その役者の代表格だったのが亡くなった植木等さん。植木さんはミュージカル「エニシング・ゴーズ」に出演していたが、「12時に稽古があるとすると、植木さんは10時に内緒で別の稽古場を借りて練習されてくる。そして何もなかったように12時の稽古に来るんです」。
本番直前の最終通し稽古の時はすでに体調を崩しており、宮本氏に「もし倒れたらごめんなさい」と謝ってきたという。宮本氏は「体調が悪いのなら無理をしないでください」と止めたというが、植木さんはすでに自分で医者と看護師を舞台脇に待機させ「倒れても絶対に戻して見せるから」と言って聞かなかったという。
「そんな植木さんがやった通し稽古が誰よりも明るくてね。ぼくは笑いながら泣いた。身を削っても見せてくれた演技だった」と当時を思い出したのか、感極まった表情を見せた。
多くの人の出会いに恵まれて迎えた演出家30周年。宮本氏は「今までは中2病だったけど、これからやっと大人になる。まだ演出は浅いけど、やっと面白さや深さが分かってきた」とコメント。「これから30年やっていく。演出家は長生きが多い。90歳になってもやっているから」と言って大輪の笑顔を見せていた。