明菜の「少女A」、実は沢田研二のために原曲書き下ろした 作詞家売野雅勇氏明かす
作詞家の売野雅勇氏が27日放送のBS朝日「ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~」に出演し、売野氏が作詞した歌手・中森明菜のヒット曲「少女A」が、実は沢田研二のために原曲を書き下ろしていたことを明かした。
「少女A」は売野雅勇作詞、芹澤廣明作曲で1982年7月に明菜の2枚目のシングルとしてリリースされ、大ヒット。明菜はこの年の新人賞を総なめとした。
売野氏は書き下ろした経緯について、「アルバムの曲を集めているから」とスタッフから言われ、明菜には直接会うことはなく、明菜のチラシを1枚もらって書き上げたという。
当時について「アイドルの人に書くのは初めてだったが、売れるとも思っていなかったし、そんなに書きたい訳じゃなかった。書くんだったら変わったものを書きたいなというコピーライター的な本能があって、まず少女Aというタイトルが出来てから書いた」と振り返った。
コピーライターから作詞家に転身した売野氏は「新聞を見ていて、少女Aってこういうのがタイトルだと面白いだろうなと思った。それが事の始まりというか、勝因。最初は違う曲が付いていたが、詞だけが生き残って、いまみなさんが知っている少女Aのメロディーが付いた」と説明した。
詞の内容については、映画「ベニスに死す」を原点として以前、沢田研二のために書き下ろしていたことを明かし、「ああいうのを書いたら格好いいだろうなと書いたが、ボツになって」と苦笑い。そこで「じゃあ、あのコンセプトを使おうと、(男女を)ひっくり返して少女Aになった」という。原曲は沢田がプールサイドから少女を上目使いに見ている詞だったという。
一方、明菜は少女Aについてあまり気に入らず、売野氏は「明菜のAだと思って私生活を誤解する人がいると言って嫌いだったらしい。聖子ちゃんの世界とはあまりにかけ離れていて。マネジャーが1回だけ歌ってっていって、レコーディングしたらしい。ずっと知らなくて去年知りました」と制作エピソードを披露していた。