野村克也氏、沙知代夫人思い涙こらえきれず「どう生きていけばいいか」【一問一答】
ヤクルト、阪神、楽天などで監督を務めた野村克也氏(82)の妻で、昨年12月8日に亡くなったタレントの野村沙知代さん(享年85)のお別れの会が25日、都内のホテルで開かれ、ソフトバンク・王貞治球団会長、高須クリニック・高須克弥院長、歌手の和田アキ子、ヤクルト・小川淳司監督、西武・辻発彦監督、真中満ヤクルト前監督、古田敦也氏、BCリーグ、富山・伊藤智仁監督、楽天・池山隆寛2軍監督ら1000人が出席した。
お別れの会終了後の克也氏の一問一答は以下の通り。
-たくさんの方がいらっしゃった。
「ねえ…。サッチーさんがこんなに人気があるなんて思わなかった。びっくりしています。おれが死んだらこれだけの人が来るのか、そんなことを考えていた」
-亡くなって1カ月以上がたちましたが、その間は。
「心の整理がなかなかね。元気でいる時は感じなかったけど、本当に不便でね。亡くなってから改めて女房の存在を感じました。生きてる時になんでこういう思いができなかったか…。人間の勝手さというか…。生きている時に感じなかったものを今となって感じています。よくできた女房で感謝しています」
-不便なことも多いと言っていたが。
「裏で全て舵取りというか、指示を出してくれていたのは女房。全てにおいて。南海をクビになったのもサッチー(が原因)でしたから、その責任を感じたのか裏で動いてくれました。おかげでいろんなチームの監督をやれたと思っている」
-最後の言葉が『大丈夫』。最後まで強気とおっしゃってましたが。
「隣の部屋でテレビをつけていたら、お手伝いさんが『奥さんの様子がおかしい』というので言ってみたら、テーブルに頭をつけて動かない。『大丈夫か』と聞いたら『大丈夫よ』と強気な姿勢を崩しませんでした」
-人に弱いところを見せなかった。
「100%見せませんでした。地球は自己中心に回っているような、そんな人生でした」
-あらためて沙知代さんというのはどういう存在か。
「いやあ、残された人生がどうなるか。そっちのほうが心配。本当に、大事な奥さんだった」
-今、会えるなら何と言うか。
「一言、ありがとうしかないです」
-会場に、写真、服が飾られていた。
「息子の嫁さんが全部そろえてくれた。しっかりしているね」
-一番好きだったところ。
「言いたいことを歯に衣着せず、誤解を招く性格ではあるが、奥さんとすればすごい頼りになったし、動じない。どんな危険なこともマイナス思考はありませんから。『大丈夫よ』という言葉がいつでも聞こえてくる。『大丈夫よ』それで終わりですから。先に逝くとは夢にも思わなかった」
-助けられた、ありがたかったエピソードはありますか。
「窮地に立ったときも常に前向きで、『大丈夫よ』というのが習性でした。その一言で随分、助けられましたよね…」
-監督の目から光るものがありますが。
「すみません…。これから先、どう生きていけばいいか。それが正直な気持ちです。いい奥さんでした」