加山雄三が涙「つらいです」 設計から携わった“わが子”「光進丸」炎上にショック
自身が設計するなど手塩にかけた愛船「光進丸」が火災で焼け落ちた歌手・加山雄三(80)が2日、東京・羽田空港で取材に応じ、涙ながらに心境を語った。出火、炎上した1日夜は沖縄県宜野湾市内でコンサートを行っており、帰京後に取材に対応。厳しい表情で「本当に申し訳ない」と謝罪したが、“海の男”の象徴が消えてなお「海への愛は変わりません」と前を向いた。
いつものパワフルな若大将ではなかった。
「私の…愛する光進丸がこういうことになり…多くのご迷惑をおかけしたこと…心よりおわび申し上げます」。頭を下げ、目をつぶった。何度も何度も「申し訳ない」と繰り返し、手を合わせた。目はずっと潤んだまま。「つらいです…」。肉親を失ったかのような沈痛ぶり。出火原因に心当たりはないという。
現在の3代目「光進丸」は、1982年4月に進水。設計から携わり「わが子のように作りあげてきた」船だった。「私の分身」「長い間の相棒」「友達が亡くなったときと同じ気持ち」。さまざまな表現に、光進丸への愛情が込められた。
1日夜、コンサートの打ち上げ中に関係者から電話が入り、光進丸の状況を知らされ、言葉をなくした。最後に乗ったのは1週間以上前。つらいことがあると乗船した。「あの船は温かく迎え、僕を癒やしてくれた」と語った。
ギターやキーボードを常備した“海上のスタジオ”でもあった。「光進丸」という歌も生まれた。加山は「僕は歌います。光進丸のために。ありがとうって手を合わせるように歌います」。これからも「光進丸」の楽曲を歌い続けることを宣言した。
修復は「まず不可能だと思います」と加山。4代目建造は現時点では「考えられない」としたが、「海への愛と感謝の心と希望は変わりません。人生には試練があると思うので。夢は捨てていません。めげずに一歩ずつ進んでいきたい」と、再び航海に出るべく、前を向いた。