高畑勲監督死去 日本のアニメを世界的文化に昇華 盟友・宮崎駿氏ショック…
「火垂(ほた)るの墓」や「アルプスの少女ハイジ」など数々の名作を手掛けたアニメーション映画監督の高畑勲(たかはた・いさお)さんが5日午前1時19分、肺がんのため都内の病院で死去した。82歳。三重県出身。1985年に宮崎駿監督(77)とスタジオジブリを設立し、二人三脚でヒット作を生み続けた。宮崎監督はこの日、姿を見せず、ジブリの鈴木敏夫プロデューサー(69)は「さぞかし無念だったろう」としのんだ。お別れの会を5月15日に開く予定。
アニメ界の巨星が墜(お)ちた。高畑監督は68年、「太陽の王子 ホルスの大冒険」で劇場用長編アニメを初監督。70年代には「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」などのテレビシリーズを演出し、日本アニメの礎を築いた。
84年に宮崎監督の映画「風の谷のナウシカ」をプロデュース。翌年、ともにジブリを設立して以降、数多くのヒット作を生み出した。野坂昭如さんの小説を自身の監督・脚本で映画化した「火垂るの墓」をはじめ、「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」など、監督作品は国内外で高く評価され、宮崎監督とともに日本のアニメを世界に誇る文化にまで押し上げた。2013年には14年ぶりに監督した「かぐや姫の物語」を公開した。
最近は入退院を繰り返していたというが、今年2月24日には展覧会「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」の関連イベントとして、東京国立近代美術館で講演を行った。「最後の公の場と思われる」(スタジオジブリ広報部)という当日の高畑監督は自力で歩き、1時間40分の講演を元気にこなしたという。司会を務めた同美術館学芸員の蔵屋美香氏は「お体を壊してらっしゃるとは聞いていましたが、80歳を過ぎておられるにしてはお元気でした。(資料の)図版も入念に準備された様子だった」と突然の訃報に驚いた。
宮崎監督は盟友の功績にふさわしい旅立ちの場を設ける意思を示した。この日、東京・小金井のジブリに姿を見せなかったが、鈴木プロデューサーが「宮崎駿とも相談し、ジブリとして盛大なお別れの会をとり行い、見送ることにしました」と2人のきずなを表すコメントを発表。さらに「やりたいことがいっぱいある人だったので、さぞかし無念だと思います」としのんだ。