月亭可朝さん のぞかせた気弱な一面…生き別れた娘に会えない寂しさ募らせる

 カンカン帽で「嘆きのボイン」を歌った落語家の月亭可朝(本名・鈴木傑=すずき・まさる)さんが3月28日に急性肺線維症のために兵庫県内の病院で亡くなったことが9日、分かった。80歳だった。3代目林家染丸に入門するも女性問題を起こして破門。桂米朝にひろわれ一門の筆頭弟子となった。その後も国政選挙への出馬と落選、ストーカー事件で逮捕されるなど破天荒な生きざまを貫いた。しかし、取材した時には、生き別れた娘に会えない寂しさを募らせる1人の年老いた男であることがうかがえた。

  ◇  ◇   

 可朝さんが逝ってしまった。

 昨年9月、取材のために兵庫県神戸市のJR三ノ宮駅近くの喫茶店で待ち合わせをした。約束の時間になっても姿が見えず、携帯に二度、三度と電話した。「もうすぐや」と返答があるなか、しばらくして「あんたか」と老いた男性が声をかけてきた。すぐには可朝さんとは分からなかった。

 少し腰が曲がってやせている。足取りはあまりにもゆっくりだ。シャツはしわが目立つ。弱々しく、テレビで見ていた「月亭可朝」とはすぐには結びつかなかった。

 しかし、席について話しだすと毒がきいていた。

 「デイリーか。一番、読まへん新聞やな。おもろない。どこがおもろいねん」

 遠慮のない言葉がぐさぐさ刺さる。老いても目力は強い。冷や汗が出た。同時に「やっぱり可朝やな」と面白くもあった。

 喫茶店での取材が終わると晩ご飯に誘ってもらった。近くの居酒屋でビールで乾杯した。家族のことをぽつぽつと話し出した。最初の結婚でもうけた娘に何十年も会っていないという。誕生後まもなく、別の女性と暮らし始めたからだ。

 住んでいる場所は分かっている。関西圏のとあるマンションだ。結婚して子供もいる。可朝さんにとって孫だ。しかし、会ったことはない。「会うべきです、会わないと後悔しますよ」と月並みな言葉をかけた。娘さんだって会いたいと思わないはずがないと。

 「分かっとる。分かっとるんやけど…そのうちな…」。そのうち、そのうちと時間だけが過ぎていったのだろう。大胆な言動ばかりが注目を集めたが、気弱な一面ももちろん、あったのだ。

 あれから7カ月。娘と孫に会うことはできたのだろうか。言葉をかわすことはできたのだろうか。互いの手に触れることはできたのだろうか。(デイリースポーツ報道部・林 大造)

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