難波弘之、センス・オブ・ワンダーを語る(中)最も長くなった現メンバー
日本のロック/ポップス界を代表するキーボード奏者で、日本のプログレッシブ・ロックの第一人者でもある難波弘之(64)のバンド「センス・オブ・ワンダー」(以下SOW)のツアーが11日に仙台で始まった。
約40年に及ぶ盟友である山下達郎をはじめ、竹内まりや、故大滝詠一さんら多くのアーティストの膨大なライブやレコーディングへの参加、ソロや野獣王国、ヌーヴォ・イミグラート、A.P.J.などのバンドやユニットと幅広い音楽活動の中でも「ライフワーク」と位置づけるSOWについて、神戸市のデイリースポーツを訪れた難波が語った。今回はその中編をお送りする。
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-SOWのメンバーはかなり変遷しています。
「そうですね。最初にベースが(田辺モットから)メッケン(荻原基文)に変わって、それからボーカルも歌える小室(和幸)になって。小室が入ったことによってちょっとポップな曲もできるようになって。ベースのスタイルが、田辺モットはフレットレスが得意だったんですけど、小室はリッケンバッカーの、どっちかというとクリス・スクワイア・スタイル。リードボーカルが歌える。
ドラムがそうる透から鈴木リカ(徹)に代わりまして。鈴木徹はプリズムなんかにもいたので、ちょっとジャズ・フュージョン的なアプローチもできる。ドラマーとかベーシストによって(バンドの特徴が)変わるので。メンバー変わると、今度はこういうのができるなみたいなのがあって。ドラムが小森(啓資)になって-小森は当時、シブがき隊のバックをやってたので-なんだけど、むちゃくちゃテクニカルな、新世代ドラマーの感覚があったんで。テリー・ボジオとかね。ジャズ・フュージョン系のドラム。
そしてまたそうる透が戻って来て、ベースが元ナイトホークスの松本慎二になりまして、これが歴史の中では最も長くなっちゃった。94年くらいからですから、24年。もうすぐ四半世紀。ただ、一番活動が停滞しちゃってCD出せなくなった時代にさしかかっちゃったんで」
-90年代は停滞の時代だったんですか。
「90年代はホントにCDが出せなくて。97年に野獣王国の2枚組のライブを出して、ヌーヴォ・イミグラートを組んでテイチクから1枚出して、その辺りからまたCDがいろいろ出せるようになりまして。10年間ぐらい出してなかったですね。92年だったかな、S.O.Nって白浜(久)と大谷令文と組んで東芝から1枚出しましたけど。それ以外はCDに関しては停滞してたんですけど、ライブ自体はいろいろセッションの声がかかるようになって、その中から野獣が生まれたりとかね、ヌーヴォ・イミグラートが生まれたりExhiVisionが生まれたりしてたんですけど」
-時代的なものはありましたか。
「そうですね。80年代の音楽業界とかレコード業界って、どう考えても湯水のようにお金使ってましたね。ちょっと調子乗りすぎてたんじゃないのかな?っていうところがあって。音楽業界って人事異動がすごくて。あっちの会社行ったりこっちの会社行ったり、こっちの会社がこっちと合併したり、こっちの社長がこっちの社長になったり、会社がなくなっちゃったりとか、すごく多くて。
90年代はちょっとアーティストにとって足元がおぼつかない感じになっちゃったんですよね。急にシビアになって、2~3枚ヒットがないとリストラみたいなことが始まって。
そんな中で、野獣王国で驚いたのは、自主レーベルだったんですけどね、ブラックボックスから評判を聞きつけて、2枚組のライブアルバム出しましょうなんてね、あの時代によく言ってくれたなって思って。ありがたいなって。それで2枚組のライブを出したらけっこう評判を呼んで、キングから声がかかってオリジナルアルバムを出すようになった。空白の10年だったんですけど、待っていたらまたいろいろお話をいただけるようになって、ありがたかったですね」
-プログレのバンドは、メンバーが入れ替わると音楽性が変化していきますよね。
「キング・クリムゾンなんてまさにそうですよね。初期と『レッド』(74年)なんて全然違うバンドですもんね。エイドリアン・ブリューが入って再結成(81年)してから、全然また違うバンドだし」
-現SOWは歴代の編成の中でどんな特徴がありますか。
「松ちゃん(松本慎二)が、ナイトホークスという80年代にデビューした小樽出身の荒くれバンド-すごくかっこいいバンドだったんですよ。女の子(岩下千絵)がギターで、すごくうまい子で、ポップだけどロックで、いい感じのバンドだった-そこのベーシストなんで、今までで一番ロック色の強いベーシストなんで。そうる透がドラムなんで、そういう意味ではリカ(鈴木徹)とか小森(啓資)のちょっとモダンなアレより、ちょっとロック寄りになっている感じはあると思いますね」
(後編に続く)