西城秀樹さん早すぎる… 63歳、さらば永遠のヤングマン

 「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」「ギャランドゥ」などのヒット曲で知られる歌手の西城秀樹(本名木本龍雄=きもと・たつお)さんが16日午後11時53分、急性心不全のため、横浜市内の病院で亡くなっていたことが17日、分かった。63歳。広島県出身。

 関係者によると、4月25日に意識を失い、病院に搬送されていた。03年と11年に脳梗塞で倒れ、右半身にマヒが残りながらも歌手活動を続けてきたが、帰らぬ人となった。通夜は25日午後6時、葬儀・告別式は26日午前11時から東京・青山葬儀所で。喪主は妻の木本美紀さん。

 70年代からトップスターを極め、二度の病に襲われても、復帰して“生涯一歌手”を貫いた西城さんが、天国へ旅立った。

 関係者によると、西城さんは4月25日夜に家族と過ごしていた際、意識を失い、病院に搬送された。以後、20日間ほど妻の美紀さんが付きっきりで看病してきたが、意識が戻ることはなかった。

 5月16日夜に容体が急変。そのまま、息を引き取った。この日、弔問に訪れた女優の小川知子(69)は悲しみの対面を果たした西城さんを「アイドルの一番の時のような顔をしてました」と表現。妻の美紀さんから託されたメッセージを「倒れて、入院してから2、3週間、毎日病院で看病できたことがすごく幸せだったと。子供たちも最期に立ち会えたことが良かったと思います。まだ夢のようです」と紹介した。

 48歳だった2003年に脳梗塞を発症。11年12月にも再発し、右半身のマヒと歩行時の機能障害が残った。生前には「言葉が出てこない。体は鉛のように重くて病院の廊下も歩けない。回復できるとは思えなかった」と吐露し、一時、引退を覚悟したこともあったという。

 それでも「人に希望を与える歌い手になりたい」と己を奮い立たせた。過酷なリハビリを続け、1日2~3時間の筋トレ、鍼(はり)治療、神経再生トレーニング…とあらゆる手段を尽くし、懸命に回復を目指した。

 最後の公の場となったのは、誕生日翌日の4月14日に栃木県足利市内で行われた「同窓会コンサート」。同19日にも歌手協会のコンサートを観劇し、司会者から紹介されると、手を挙げてファンに応えた。

 子供のころから地元・広島で兄とバンドを結成した。ジャズ喫茶で歌っているところを、ジョー山中さんらを見いだしたマネジャー・上条英男氏にスカウトされ、上京。16歳だった72年に「恋する季節」でデビューした。

 ハスキーな声で叫ぶように絶唱するスタイルで「ギャランドゥ」「傷だらけのローラ」など次々と大ヒットを飛ばし、郷ひろみ(62)、野口五郎(62)と「新御三家」と呼ばれる人気者となった。米ダンスナンバーをカバーした「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」ではアルファベットを表現する振り付けも話題となり、日本歌謡大賞を受賞した。

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