35歳で急死の天才芸人・村田渚さん 死の真相を第1発見者が明かす
お笑いコンビ「さまぁ~ず」の三村マサカズが20日、日本テレビ系で放送された「ザ・発言×あの言葉で人生が劇的に動いた!!」にVTRで出演。2006年11月に35歳の若さで急逝した、天才芸人・村田渚さんについて語った。
村田さんはお笑いコンビ「フォークダンスDE成子坂」として、フジテレビ系「ボキャブラ天国」などで活躍。ボキャブラが終了した99年に解散し、05年に漫才コンビ「鼻エンジン」を結成していた。
事務所の先輩だった三村は番組の取材に対し、「生きていればなんとかなったのに…もったいない。俺が一番、渚のこと、忘れてない」「お前の分も俺がやる、っていう思いでずっとやってきた」と目を赤くしながら語った。
村田さんは06年11月12日午後4時45分ごろ、東京都品川区の自宅マンションで布団にうつぶせになって死亡しているのを管理人が発見した。仕事に来ず、携帯電話にも出ないことを不審に思った所属事務所が連絡し、死亡が確認された。
実はこの時、管理人と一緒に部屋に入り、第一発見者となったのが、当時、「佐野忠宏」の名前で芸人として活動していた映画パーソナリティのコトブキツカサ。村田さんの相方・松丘慎吾からの依頼で駆け付けていた。
村田さんに触れると、「冷たかった」といい、発見時点ですでに死後38時間経っていたという。死因はくも膜下出血だった。村田さんの死に顔についてコトブキは「本当に穏やかだった。微笑んでた」と明かした。
村田さんは亡くなる直前の10日、ラジオ番組に出演後、相方の松丘に「頭が痛い」と訴えていたという。