桂歌丸さん逝く 落語界“不屈の鉄人”…国民的人気番組「笑点」に第1回から出演

 落語家で落語芸術協会会長の桂歌丸(かつら・うたまる、本名・椎名巌=しいな・いわお)さんが、2日午前11時43分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため、横浜市内の病院で亡くなった。81歳。歌丸さんは、国民的人気を誇る日本テレビ系の演芸番組「笑点」(日曜、後5・30)に第1回から出演。2006年5月から16年5月まで、5代目司会者を務めた。通夜、葬儀は近親者のみで行い、11日に横浜市の妙蓮寺でお別れ会を開催する。

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 度重なる病を克服しながら芸道にまい進し続けた“不屈の鉄人”が、静かにその生涯を閉じた。

 関係者によると、歌丸さんは4月24日、肺炎のため横浜市内の病院に緊急入院。一時は危篤状態となっていたが、持ち直して5月からかかりつけ医に転院した。回復の兆しを見せており、6月30日には見舞いに訪れた落語芸術協会の関係者と会話も交わしていたが、この日朝に容体が急変。妻・冨士子さんら家族にみとられ、帰らぬ人となった。

 細身の体で、晩年は常に病との闘いだったが、「生涯現役」をモットーに、高座にこだわり続けた。06年に腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症のため入院し、09年には死因ともなった慢性閉塞性肺疾患で再び入院した。その後は肺炎や腸閉塞のため、毎年のように入院したが、16年7月には入院中にもかかわらず外出届を出して高座に。同12月にもドクターストップを振り切って退院し、高座に上がった。

 「笑点」には、前身番組である「金曜夜席」の第1回から出演。初代司会の故・立川談志さんに見いだされ、瞬く間に全国的な人気を博した。06年からは“盟友”の故・五代目三遊亭円楽さんから司会の座を受け継いだ。「私が世に知られたのは、笑点のおかげ」としつつも、「大喜利の歌丸で終わりたくない」とも公言。“いち落語家”としての誇りを保ち続けた。

 17年からは、常に鼻に酸素吸入器のチューブを入れた状態で、体重も30キロ台前半まで落ちた。それでも、噺(はなし)家としての執念に満ちた鬼気迫る高座で、落語ファンを魅了した。とりわけ、国立演芸場での8月中席公演で、故・三遊亭円朝さんの長編人情噺を演じることをライフワークとしており、死去の直前まで8月の高座復帰へ意欲を燃やし、リハビリを行っていたという。

 最後の仕事となったのは、4月19日、国立演芸場での定席。得意ネタである「小間物屋政談」を演じた。その1週間後に入院し、わずか2カ月余りでの旅立ち。最後まで落語家であることを選び続けた、歌丸さんらしい生きざまだった。

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