弟弟子ヨネスケ 涙と笑いで追悼 桂歌丸さん訃報一夜明け 落語芸術協会が会見

 会見した(左から)春風亭昇太、会長代行の三遊亭小遊三、桂米助、桂歌春=都内
 桂歌丸さんとの思い出を語りハンカチで涙をぬぐう桂米助=都内
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 落語家で落語芸術協会会長の桂歌丸さんが慢性閉塞性肺疾患のため、2日に81歳で亡くなったことを受け、同協会の会長代行で日本テレビ系「笑点」で長年共演していた三遊亭小遊三(71)、春風亭昇太(58)と、ヨネスケこと弟弟子の桂米助(70)、一番弟子の桂歌春(68)が3日、都内で会見を行った。

 晩年は病と闘いながらも、噺家として生涯現役を貫いた歌丸さんを、笑いあり、涙ありで悼んだ。訃報から一夜が明けての会見は、しんみりムード一色とはならず、時折笑みもこぼれた。明るく振る舞うことで、芸道を継承する落語家としての矜恃を、歌丸さんに示しているようだった。

 小遊三は「笑点」での歌丸さんの司会ぶりを、「こっちの表現がうまくなくても、全部引き取ってくれた。『コレが言いたいんだろ』と。それは他の人にはなかった」と述懐。隣に座る現司会の昇太をチラ見し、ひと笑いを生んだ。「努力家と思われてますが、天賦の才能もあった」と敬意を払って、「もう口をきかないのかと思うと本当にさみしい」と悲しみの胸中も吐露した。

 米助は感謝の思いがあふれ、涙がこぼれた。歌丸さんの最後の高座となった4月19日の定席で、米助は誕生日を祝ってもらったという。その10日後に一時危篤となり、「大きな声で『米助ですよ』と話しかけたら、よみがえりました。大きな声は無駄じゃなかった」と回想した。

 「笑点」司会を引き継いだ昇太は、秘話を披露。自身のNHK大河ドラマ出演をうらやましがっていたといい、「『俺も出てぇな。千利休だったらうまくできそう』と役まで決めて」と“かなわぬ夢”を打ち明けたとし、笑いを呼んだ。

 度重なる入退院にも弱音を吐かなかった歌丸さんだが、4月の危篤状態から回復後は「苦しい、楽にしてくれ」と漏らすようになったという。亡くなる2日前まで、弟子には「俺が死にそうなのに、てめぇたちは来ねぇ!!」とジョーク交じりの小言を浴びせていた歌丸さん。最期は眠るように息を引き取り、安らかな顔だったという。

 歌丸さんが2004年から担ってきた落語芸術協会の会長職は、来年6月までは小遊三が副会長兼会長代行として務める。今年6月の総会で兼務が決まり、歌丸さんから「協会らしい色を出して、一丸となって高座を作るように」とアドバイスを受けたという。小遊三は「『代行』を取る?いやいや…。みんなの力で熱い議論を交わしていきますよ」と1年間は“現体制”を続ける方針。11日に横浜・妙蓮寺で営まれるお別れ会では、小遊三が弔辞を読む予定となっている。

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