劇団四季創設者、浅利慶太氏死去 悪性リンパ腫…長野五輪の開閉会式も演出
劇団四季創立メンバーの一人で、演出家で元劇団代表の浅利慶太氏が13日午後5時33分、悪性リンパ腫により、都内病院で亡くなったことが18日、分かった。85歳だった。同劇団の公式サイトで発表された。葬儀は親族のみで執り行い、後日、お別れの会を開く予定。劇団のほぼ全作品のプロデュースや演出を手がけたほか、1998年には、長野冬季オリンピック開閉会式のプロデュース・演出も務めた。
浅利氏は慶應義塾大学文学部仏文学科在学中の1953年に、日下武史(故人)ら10名で劇団四季を創立。以来、劇団代表、演出家として、ストレートプレイからミュージカルまで、ほぼ全作品のプロデュースや演出を手掛けた。
「ウェストサイド物語」、「コーラスライン」、「ライオンキング」などの海外作品翻訳上演、「夢から醒めた夢」、「ユタと不思議な仲間たち」、「昭和の歴史三部作(「ミュージカル李香蘭」/「ミュージカル異国の丘」/「ミュージカル南十字星」)」等のオリジナルミュージカルを手掛け、日本にミュージカル文化を定着させた。
また、1983年初演の「キャッツ」では、日本初となるロングラン公演を成功させるなど、日本演劇の興行形態に革新をもたらした。
2014年に劇団代表職を退いてからは、活動の拠点を、現在の浅利演出事務所へと移し、「浅利慶太プロデュース公演」として、計12公演の演出を手掛けた。