石丸幹二 恩師・浅利慶太氏死去に哀悼「灯台のような存在でした」
劇団四季創立メンバーの一人で、演出家で元劇団代表の浅利慶太氏が13日午後5時33分、悪性リンパ腫により、都内病院で亡くなったことが18日、分かった。85歳。四季のほぼ全作品のプロデュースや演出を手がけたほか、1998年には、長野冬季オリンピック開閉会式のプロデュース・演出も務めた。同劇団出身で現在はテレビドラマなど幅広く活躍する俳優・石丸幹二は公式サイトで「浅利慶太先生は、私の一番の恩師です」と哀悼した。
石丸は東京芸術大学音楽学部(声楽科)在学中、「何も知らないまま受けた」劇団四季のオーディションで浅利氏の目にとまり、「君には『オペラ座の怪人』を勉強してもらう」と演劇の世界に導かれた。91年、四季の「オペラ座の怪人」のラウル役でデビューした。
「それから17年。一貫して厳しく丁寧にご指導いただきました。今、私が俳優として、また歌い手として活動ができていますのは、浅利先生が私の中に植え付けてくださった、舞台俳優としての確固たる精神と、揺るぎない技量という土台があってこそ、と思っております」と感謝の思いをつづった。演劇は「仲間と共に創ってゆくもの」という姿勢も教えられたという。
所属事務所によると、浅利氏は1年半前に悪性リンパ腫と診断され、闘病を続けてきた。石丸は昨年12月に劇場で恩師と会った際、「お前は舞台に立ち続けるんだぞ」と言葉をかけられたことを明かし、「私にとりまして浅利先生は、いつも行き先をしっかり照らしてくださる灯台のような存在でした。心より感謝と哀悼の意を表します」と追悼した。