大和田伸也、恩師・浅利慶太さんを追悼 熱血指導「スリッパが飛びました」
劇団四季創立メンバーの一人で、演出家で元劇団代表の浅利慶太氏が13日午後5時33分、悪性リンパ腫により、都内病院で亡くなった。85歳。四季のほぼ全作品のプロデュースや演出を手がけ、多くの名優を育てた。同劇団出身の俳優・大和田伸也は18日、所属事務所を通じ追悼のコメントを発表した。
早稲田大学出身で、在学中の1968年、劇団四季に入団した。同年、「ハムレット」で初舞台を踏み、多くの舞台やNHK大河ドラマに出演。しかし、サラリーマン的な役者になることに疑問を抱くようになり、3年半で退団した。
大和田にとって、浅利氏は「最初の演技の先生」。「その頃の先生は、スリッパがよく飛んできました。日本初の国産ミュージカルの稽古の時も、特別参加の有名歌手にもスリッパが飛びました。それだけ演技に対して、熱く信念をもって教えてくれたのです」と熱血指導を振り返った。
劇団の若手を連れて、「素敵なバー」などにも連れて行ってくれたそうで、そこでは「これからの演劇を創っていくのはお前たちだから」と熱心に話してくれたという。
「浅利さんは、私にとって、演劇と言うものの、シンボルです。いまだに、ちゃんと演技しないと、スリッパが飛んできそうな気がします」と感謝の思いを伝えた。